パソコン何でもQ&A

015 パソコン技術(ホームページなど)の習得について
【1】 どうしたらパソコンが上手くなれますか?
 今まで、授業では高校生、研修所では高校の先生、研修では小中の先生、公民館の定期講座や自宅
のパソコン塾では色々な方と、パソコンに取り組んできました。その数は、数千人に達します。
 パソコンと上手に付き合い、今も、継続して、楽しんでいる人の共通点を紹介します。
(1)上手くなれるかどうかの分岐点は、パソコンという道具を使って、何かを表現したいことがあるかどうか
にかかっています。つまり、「好きこそ、物の上手なれ」です。
(2)次に、何か表現したいことがあれば、1日30分でも、パソコンに向き合う時間を確保することが出来ま
す。毎日少しずつパソコンに向き合えば、マニュアルを見なくても、体が覚えます。つまり、「習うより、慣れ
よ」です。
(3)慣れるには、慣れるまで、1つのことをトコトンやりぬくことが大切です。つまり「一つをマスターしたら、
次に進むべし」です。
(4)毎日、少しずつ、1つにことをトコトンやりぬく。一定の量をこなすと、ある時、急に、パッと、楽しくなりま
す。このことを、「量から質への転換」といいます。
【2】  (1)「好きこそ、物の上手なれ」
 何事によらず、すべての基本は、「好きこそ、物の上手なれ」です。
 私の場合は、パソコンに保存したデータは、何時でも、どの様な形でも、再利用できるというメリットから
始まりました。次は、テキストデータ(文字)とイメージデータ(写真)の融合へとすすみ、現在は、テキストと
イメージとサウンド(音楽)とムービー(動画)の融合、つまり個人による総合芸術の創造にまで進化してい
ます。
 「今は、忙しいから…」という理由で、パソコンを利用していない人がいます。「忙しい」のではなく、パソコ
ンを使って表現することがないのだと思います。
 私は、「忙しいから、パソコンを利用する」という立場です。データの共有化により、仕事の効率化が進み、
時間に余裕が生まれ、生徒や色々な人とのコミュニケーションがはかれます。
【3】 (2)「習うより、慣れよ」(継続は力なり)
 パソコンの授業の日、研修の日、講座の日しか、パソコンに触れない人がいます。そして、「わからない」と
か「難しい」といいます。受身で、いくら習っても、「元の黙阿弥」です。毎年、同じことを繰り返し、同じ愚痴を
いう人です。
 私は、この世に生まれた人は、必ず、「訴えたい」「表現したい」何かを持っています。すぐ、それを見つけ
られる人、時間がかかる人がいます。何かを「趣味」と表現する人もいます。
 「訴えたい」「表現したい」何かがみつかれば、それをパソコンを使って、具体化するのです。例えば、趣
味を、デジカメとホームページソフトで、パソコン画面に表現していくのです。楽しければ、続きます。継続
すれば、体がパソコンの技術を覚えるのです。「継続は力なり」です。
【4】 (3)「一つをマスターしたら、次に進むべし」(V3は永遠の恋人)
 私は、ホームページのソフトは、IBM社の「ホームページビルダーV3」(1996年版)を使っています。現
在V9にバージョンアップされています。研修などで指導する時は、職場に入っているソフトを使うので、
V8までは扱えます。
 しかし、私は、V3の機能を完全に使いこなせたら、浮気をする予定ですが、まだ、使いこなしていません。
たぶん、一生使いこなせないでしょう。だから、「V3は永遠の恋人」なのです。
 優秀な生徒は、薄くてもいい、必ず1冊マスターしたら、次の1冊へ手を出しています。
 そうでない生徒は、ある生徒は「これがいいよ」というとそれに手を出し、マスターしない内に、別な生徒が
「それよりこっちの方がいい」というと、それに手を出します。
 1冊やり遂げた満足感・充実感を体験しているか、どうかが、優秀かそうでないかの分岐点です。
 生まれたての優秀の人はいません。
【5】 (4)「量から質への転換」
 「量より質」というのは、安物をたくさん買う(食べる)より、高い物を少量買う(食べる)方がいいという意味
です。
 しかし、ここで取り上げているのは「量から質への転換」という言葉です。
 優秀な生徒のほとんどが体験しているのが、この言葉です。つらくても、面白くなくても、ある一定の量を
こなすと、急に、パッと、ひらめき、理解でき、楽しくなる体験があるのです。これを知的感動といいます。
 美味しいものを食べたり、楽しいTVを見たりとは、異質な、知的な感動です。知的な感動は、持続する
喜びなのです。