018 | フィルム時代のカメラマンとの出会い | |
【1】 | 「アサヒペンタックス」との出会い | |
1 | 本格的に、カメラを操ったのは、就職してすぐ、民俗調査のために、1ヶ月分の給料を出した「アサ ヒペンタックス」を購入しました。その理由は、ボディがまったく変化していないということです。 | |
2 | つまり、デザインをこねくりまわすことにエネルギーを割くことなく、カメラ本体に集中できると思ったか らです。今も大切の保管しています。 | |
【2】 | 「ニコン」との出会い | |
1 | 25年以上愛用したアサヒペンタックスが、使いにくくなり、ボディをこねくり回すようになったので、今 から15年ほど前、落としても壊れないというほどボディにこだわる「ニコン」を購入しました。これも望遠 ・三脚・フィルターなどを入れると1ヶ月の給料分になりました。 | |
2 | 今から10年ほど前、ある人の通夜で、セミプロ的なカメラマンに会いました。その時、カメラ同好会 (以前は、全日写連の相生支部)に入会を勧められました。私が「定年後お願いします」というと、「今 から初めて、定年後やっと写真が撮れるようになる」と説教され、早速入会することにしました。 | |
【3】 | セミプロは違う!!、八墓村での体験 | |
1 | 私は、主に、民俗調査などの記録が中心でしたが、同好会の人は、芸術写真を志向しているようで した。色々と戸惑い、びっくりしたり、感心する連続でした。 | |
2 | 最初の撮影会が岡山県吉永町八塔寺でありました。映画「八墓村」(市川崑監督)・「黒い雨」(今村 昌平監督)で撮影の場所に選ばれた所です。周囲は山、田んぼで、殆どの家が茅葺か藁葺きで、古 い時代の場所設定にはぴったりです。ススキが印象的でしたから、秋でしょう。 | |
3 | 大阪からモデルを呼んでの撮影会です。係りの人の話では、「色々援助があって、かなり高額のモ デルを呼べました」というだけあって、若くて、美人で、スタイルがよくて、カメラマンの様々の注文に笑 顔で応対していました。時間は、朝の10時から夕方の16時まででした。 | |
4 | ある人は、なかなか写しません。やっと写し出したと思うと、西日が落ちる16時ぎりぎりになっていまし た。私はフィルムを使い果たしていたので、その人を観察することにしました。夕日がモデルの梳き上 げた髪を通して、金色に輝いていました。出来上がった写真は、生身のモデルとは違う美しさでこちら を見ていました。その人は「写真は光と影やで」と教えてくれました。 | |
5 | 次の人は、モデルの足元に寝転んで、写しています。カメラのレンズは、彼女のミニスカートに被わ れた、スラッと伸びた足ではありません。帽子を被ったモデルの顔を横から出なく、下から出なく、地 面から写しているのです。出来上がった写真は、光と影と違い、不要な背景をシャットアウトした帽子 の女がキリッと立っていました。その人は「アンダーの写真」を私に教えてくれました。 | |
【4】 | セミプロは違う!!、撮影時間 | |
1 | 同好会に誘ってくれた人が、「新舞子に行きませんか」という。時間を聞くと、午前3時に出発すると いう。朝日が海面を金色に染める1年で最もいい時期なのだそうだ。しかし、朝の弱い私にとって、無 理な話でお断りしました。新舞子は、兵庫県御津町にあります。 | |
2 | 同じ人が、「大撫山に行きませんか」とまた誘ってくれました。時間を聞くと、午前3時に出発すると いう。白く濃いモヤが幻想的に流れる1年で最もいい時期なのだそうだ。しかし、朝の弱い私にとって、 無理な話でお断りしました。大撫山は、兵庫県佐用町にあります。 | |
3 | 私は、撮影には時間が大切だということを教えてくれました。 | |
【5】 | セミプロは違う!!、福地渓谷での体験 | |
1 | 兵庫県宍粟市の福地渓谷で撮影会がありました。柿の実の赤さが印象的でしたから、秋でしょう。 私は、撮影相手を求めてあちこち行っては、パチリ、パチリしていました。 | |
2 | ある人は、撮影場所を一箇所の定め、動きません。あちこち行く私は、同じ場所で、動かないその 人がとても気になりました。 | |
3 | 撮影会後の合評会で、その人は「あちこち動いては、いい写真が写せないでしょう」とずばり、辛口 の批評が出ました。この会のいい所です。その人の話は、撮影会の場所が福地渓谷と決まると、何度 も下見をするそうです。この次期の、この時間は、太陽が、樹木や葉にどう射すか、小川のせせらぎ にどう彩を与えるかなど、色々検討するそうです。 場所が決まると、太陽の動きで、樹木や葉の色、小川のせせらぎが緑色になる瞬間を待つのです。 数時間待って、その瞬間はほんの数秒だそうです。撮影の厳しさを教えてくれました。 | |
4 | この撮影会を企画(輪番)したのが、私を同好会に勧めてくれた人です。朝から調子が悪かったそう ですが、自分の企画に自分が欠席することは出来ないと、無理を押したのか、緊急入院して、1週間 後に亡くなりました。 私は、デジタルカメラに出会ったのと、その方の指導を受けられないという2つの理由で、同好会を 脱会しましたが、私の撮影技術は、この約2年間に教えてもらった内容をおさらいしていることが分かり ます。定年までの10年間、そこでお世話になったら、より高度な技術をマスターしただろうにと悔やま れます。 今は、その人の「遺言」として、同好会での出会や教えを受け入れております。 |