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2005年3月から、相生市指定文化財特集です
第十三回は、「国史跡感状山城跡」(5)です
撮影は2005年5月と11月でした

南曲輪群(曲輪とは城の土や石の囲い) 南曲輪より家島が(写真クリック→詳細) 南曲輪より矢野の田園地帯を見る
南曲輪群 南曲輪に残っていた巨石 南曲輪に残っていた石垣
 感状山城跡(国指定文化財)
 感状山城は瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に、瓜生左衛門尉によて創築されたと伝えられています。
 その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武3年(1336年)には、新田義貞軍の進攻に対し、
赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐が、この城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えら
れ、感状山城と呼ばれるようになったと伝えられています。
 城郭の構成は、連郭式・階郭式の縄張で、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、
建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。
 以上は、相生市教育委員会の案内板から引用しました。
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