市・町のパソコン技術は小・中学校のホームページで判断
 私は、今から18年前(1989年)に、兵庫県立教育研修所の講師に委嘱されてから、60歳(2002年)まで毎年のように、『パソコンの活用』「教材・情報の共有化」というテーマで、研修を担当してきました。
 また、あちこちの学校で、パソコンの研修講座の講師も依頼されました。
 私は、常に、次のような視点で現状を把握し、以下のような指摘を行ってきました。

 まず、その地域の小学校や中学校のホームページを見ることにしています。
 学校では、最もパソコンに堪能な先生がホームページをアップしています。小・中学校では、パソコンの研修は主に市や町の教育委員会が担当します。
 その結果、小中学校のホームページをみれば、その市・町のパソコン技術の優劣が一目瞭然です。

 優れたホームページを作成している小・中学校の市・町の担当者や指導者に会って話を聞く機会があります。
 共通していることは、非常に謙虚柔軟な対応だということです。
(1)市や町の指導者がパソコン技術に堪能であっても、後進を育てるとか、情報を共有するという明確な方針を持っているので、色々な人に担当を分担させています。分業と協業を実践しています。
(2)逆に、パソコン技術に熟達していない場合、指導者の方針を実行出来る人を信頼して、全面的に委任する勇気があります。
(3)その謙虚さが、研究熱心さになり、進んだ地域や学校の情報技術の研修の取り組みとなります。
(4)職員を多忙さから解放するには、何が大切かを常に研鑽して、色々な人と交流をしています。
(5)ホームページの威力・魅力を熟知し、時間を産み出す情報処理の道具として、地域交流の方法として、その技術習得に積極的に取り組んでいます。
(6)競争に耐えない技術は「井の中の蛙」という視点から、普遍的で発展的な技術を模索しています。
(7)哲学というか、戦略というか、方向性を持っているということです。
 「情報を共有するには何が必要で、何をするべきか」という方向性が持っているということです

 逆に基礎基本から外れたホームページを作成している小・中学校の市・町の担当者や指導者に共通していることは、謙虚さに欠ける、そして硬直した対応だということです。そのことすら理解できていない指導者群像です。
(1)情報の共有には分業と協業が不可欠ですが、情報の共有・分業と協業の認識がない
(2)有能で将来性ある職員を使い切っていない
(3)他からの干渉を嫌い、研修なども形式的に流れている。
(4)「忙しい、忙しい」と言いながら、情報格差は益々拡大し、忙さしから脱却出来ない
(5)ホームページをワードやエクセルと同じと理解し、ホームページの技術習得が負担になっている。
(6)競争に耐えない技術に固執して、一般では使えない「井の中の蛙」的技術で満足している。
(7)以上の原因は、哲学というか、戦略というか、方向性を持っていないということです。
 「井の中の蛙」的技術でなく、謙虚に、競争に耐える普遍的・発展的技術の研修が大切です

 外国の話です。
 ある時、ソクラテスは、神より「ソクラテスは賢者である」というお告げを聞きました。
 ソクラテスは、自分を愚者だと思っている。しかし、神は間違ったことは言わない。
 そこで、ソクラテスは、アテネの賢者を訪ねて回りました。その結果、ソクラテスは「自分は何も知らないことを知っている」(無知の知)、しかし、賢者と言われている人は「何も知らないことを知っていない」(無知の無知)ことが分りました。
 その結果、ソクラテスは、神のお告げが正しかったことを理解した、といいます。