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(2)伝説━@地名伝説
相生帰帆
相生港
 相生 (現在はあいおいだが、最近まではおおである)
 今の相生は、元は那波浦(村)字大浦といった。それは三並記の「荒神山三島社」の項に「赤穂郡那波浦には、神功皇后の御祈願によって鎮座の三島大神あり。神功皇后の新羅国を征し給う時、那波の入江の那波浦は、中国鎮護の水師軍の要港にして第三陣先鋒の将帥小干 宿弥三並を以って箭竹を採らしめ、神託と勅命をうけて、赤地向い鼻に三島大神の御分霊を鎮祭せしめらる。奉幣使として笠志直命を参行せしめらる。右御渡船の着きたる所を大浦という」とあるのをみても明らかな如くそれが後に相生となったといわれる。
 海老名家譜盛重の項に
「人皇82代御鳥羽御宇、文治二丙午歳於此地築下屋敷、本国為相模国故相与大島之大声、取以相生村付者也」
 とあって、盛重は昔この地を大浦と称したことに着想し、己の生国が相模なるにより、「相模に生れた」(海老名家)との意味に、居城「大島城」の大の音と元「大浦」の大の字の音をとって、相生を「おお」とよませ、古くからの「大浦(おおうら)」を「相生(おお)浦」と改称したものである。
 相生は、元は大浦であった証拠には、古くからの村章が○に大の字、即ち であったことでもわかる。(判は那波氏所蔵)

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