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合併と市政の実施
 明治三年藩籍奉還となり同年7月14日廃藩置県が命ぜられ、この地域も飾磨県に編入、明治9年には兵庫県に合併編入となった。
 明治22年には、町村制施行により相生村と那波村が設置され、当時、揖保郡室津村に属していた野瀬を相生村に編入した。
 更に大正2年1月1日には、相生村が、町制を、ついで昭和6年 那波村も町制を実施、その後昭和14年4月1日には、隣接那波町を合併し人口2万4200人の大相生町となった。
 播磨造船所(現石川島播磨重工業株式会社)が支那事変および太平洋戦争の影響を受けて急激に活況を呈したため、人口もにわかに激増し、昭和17年10月1日には兵庫県下9番目の市として相生市が誕生した。
 昭和26年8月10日隣接揖保郡揖保川町に属していた那波野を相生市に編入し、ついで昭和29年8月1日には、町村合併促進法の施行に伴ない隣接赤穂郡若狭野・矢野両村を合併し、相生市に編入して現在に至った。
 市域の拡大(総面積90.09ku)

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