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鶴亀と平賀元義・頼山陽
鶴亀池
 山陽道鶴亀の宿ーとりわけここには大きな入鹿(いるか)ヶ渕があり、この地底から鶴と亀の奇石が出たというめでたい伝説があって多くの文人墨客のつえをとどめたところである。
 平賀元義(1800~1865)もその一人である。彼は岡山藩きっての槍の使い手であるが、また国学に長じ、とくに中年に仕官を辞してからは酒と歌と書にあけくれる気ままな文人生活であった。
 近代短歌の親といわれる正岡子規は、不毛の近世和歌史の中で、平賀元義を知って、驚喜して元義を称揚している。
 
 彼の歌集につぎの歌が見える。  
  嘉永3年3月28日播磨国赤穂の郡入野村鶴亀浜崎氏が家に持伝へたる鶴亀松竹梅の形なせる奇しき石を見て
  おほなむちすくなみかみ(註=大国主命)の作りけむ岩かも見ればここら奇(くす)しき……池底からでたこの石は大国主神の作られた石でもあろうか、そう思ってみればたいそう神秘である……というのである。

 頼山陽(1773~1832)もまたそうした文人の一人であった。大著「日本外史」の著者であり、詩人としても著名であるが、たぶんその「日本外史」の成る前後のころ、生地広島と京との往還の途次、一編の詩を残している。
   播州鶴亀村店 
 寒漪倒影両三家 一樹老桜未着花  俟我侍輿東上日 要看暖香圧檐牙
 (冬の池のさざなみに、さかさまにゆらぐ二、三軒、岸の山桜は幹もさむざむとまだ花もつけぬが、またの日主君に従って東上するときには、軒端せましと、咲き乱れる花を見られよう。)

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