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相生光明寺
 相生光明寺内陣
 海老名季重が遁世して道誓といい、蓮如上人ご直弟子万福寺誓伝(元那波大島山にあり、赤穂に移転、播磨六坊の一つ)とともに、寛正6年(1465)正月、北嶺の悪僧と、祇園の神人の一団によって、東大谷の影堂が破却された時、上人の守護に功績があった。誓伝は、遂に討死し、道誓は強勇であったので、遂に悪徒を退け、み跡をしたい江州に行った。上人ご満悦のあまり光明寺の号を賜って寺を創立した。  
 約一千坪の寺地に明治12年再建の七間四面の本堂がたち、西播有数の巨刹である。又境内に相生生れの妙好人、餅屋市五郎頌徳碑がある。

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