(11)南部坂雪の別れ(内蔵助は内匠 頭の妻瑶泉院に西国大名に就職した ため別れにきたと嘘を言い、連判状を 残す) |
(12)徳利の別れ(赤埴源蔵は留守の 兄に代り羽織に別れを告げる) |
(13)両国橋の源五と其角(源五の「あ したまたるるその宝船」の下の句で其 角は明日の討ち入りを悟った) |
(14)元禄十五(1702)年十二月十四 日夜赤穂浪士四十七人が吉良邸に討 ち入る |
(15)上野介小姓清水一学は二刀流を 使い奮戦する |
(16)炭小屋に隠れていた上野介の首 級を挙げて本懐を遂げる |
(17)四十七士は永代橋を通り、泉岳 寺に引き上げる |
(18)泉岳寺の主君の墓前に上野介の 首級を供える |
(19)元禄十六(1703)年2月14日内 蔵助らは切腹して、泉岳寺に葬られる |
(20)明治元年東京行幸に際し泉岳寺 墓前に勅旨を派遣する。 明治三十三年赤穂城内三の丸に大石 神社が建立された。 |