1585(天正13)年発行(第001号)
浅野家のルーツを探る(1)
この人事は、長政さんの奥さんと豊臣秀吉(49歳)さんの奥さんである北政所さんとが姉妹であり、長政さんと秀吉さんとが義兄弟の関係で、抜擢されたと言う噂もあります。 |
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豊臣秀吉さん | ||
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前田玄以さん | 石田三成さん | 浅野長政さん |
歴史解説班、五奉行を説明 |
五奉行とは、秀吉さんが軽輩から取り立てた大名で、いわば腹心の部下と言えます。その五人とは、長政さん以外では次の方々です。 前田玄以さん(47歳)は、織田信長さんに仕えていましたが、のち秀吉さんに仕え、信任を得ました。 増田長盛さん(41歳)は、はじめから秀吉さんに仕えました。 長束正家さん(年齢は不詳)は、丹羽長秀さんに仕えていましたが、のち秀吉さんが抜擢しました。 石田三成さん(26歳)は、幼少時から秀吉さんに仕えた秀才です。 この筆頭ですから、秀吉さんが長政さんをいかに重視していたかがわかります。 |
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前田利家さん | 徳川家康さん | 上杉景勝さん |
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毛利輝元さん | 小早川隆景さん |
歴史解説班、五大老も説明 |
ついでに有名な五大老の話をします。五大老とは秀吉さんの元同僚の有力大名です。 小早川隆景さん(53歳)は、毛利元就さんの子供です。秀吉さんの正室であるねねさんの甥、つまり秀秋さんがここへ養子に行きました。 前田利家さん(48歳)は、織田信長さんに仕え、若い時から秀吉さんとは同僚でライバルの関係にあります。 徳川家康さん(44歳)は、6歳から19歳まで今川義元さんの人質でしたが、桶狭間の戦いで信長さんが義元さんを破ったことで、人質生活から解放され、その縁で信長さんと同盟関係を結びました。この人質時代の毎日が生死の背中合わせの体験が、家康さんの哲学になっているという人もいます。 毛利輝元さん(33歳)は、お父さんの隆元さん(元就さんの子供)が早死にしたので、11歳で家督を継いだという苦労人です。 上杉景勝さん(31歳)は、上杉謙信さんのお姉さんの子で、謙信さんは独身主義者でしたので、子供さんがなく、上杉家の養子になりました。 宇喜多秀家さん(13歳)、どうしてこんなに若くして五大老になったのでしょう。それは、お父さんの直家さんが病死すると、絶世の美女と言われたお母さんのお福の方が秀吉さんの側室となったことによります。 以上の六人のうち、隆景さんが死んだ後五大老というようになりました。 |
秀吉さんの元気なときは独裁色が強く、晩年になって腹心の部下を五奉行として政務を分掌させ、有力大名を五大老として重要政務を合議させるようにしました。 |
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五奉行・五大老会議の図 |