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1645(正保2)年6月23日発行(第012号)
忠臣蔵新聞

いよいよ登場、赤穂浅野家のルーツ

浅野長直さん、赤穂に本日着任

赤穂城(明治10年代撮影)
常陸(茨城県)笠間城跡
 昨日の6月22日、浅野長直さん(35歳)が、常陸笠間からここ赤穂に赴任してきました。

 長直さんは、あの有名な五奉行筆頭の浅野長政さんの三男長重さんの子どもさんです。
 この長直さんが赤穂浅野家の祖であります。
長直さん、赤穂着任までの経緯
 1622(元和元)年、浅野長政さんの三男坊長重(35歳)さんがお父さんの遺領常陸真壁より笠間5万3000石に移りました。
 1632(寛永9)年、浅野長重(45歳)さんが笠間で死去しました。そこで長重さんの子供である長直(22歳)さんが笠間5万3500石を相続しました。
 同じ年の10月、浅野長晟(48歳)さんが広島で死去しました。光晟さん(15歳。長晟さんの次男で正妻の子)が父の広島本家42万石を相続しました。
 同じ年の同じ月に浅野長治さん(19歳。長晟さんの長男ですが、妾腹の子ということで次男とされれいる)は光晟さんより父長晟さんの遺産の内5万石を相続して、備後三次家の祖となりました。
 奥さんは浅野長重(叔父)さんの娘さんで、一男三女をもうけました。そのうち次女の阿久里さんが、後の浅野長矩夫人です。
赤穂の殿さん、奥方を殺害!
 1645年3月15日、赤穂城主池田輝興さんが発狂して、黒田長政さんの娘さんである奥さんを切り殺し、領地を没収される事件が起きました。
 同じ年の6月22日、浅野長直さん(35歳。長政さんの三男長重さんの子)がこの事件により、常陸笠間から赤穂(179か村。5万3500石)に赴任してきました。この長直さんが赤穂浅野家の祖であります。

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