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大江・岩波沖縄戦 大阪高裁判決文

判決要旨
2008年(平成20年)10月31日

 【判断の大要(判決114頁以下)】
 当裁判所も、原審同様、控訴人らの各請求は、当審で拡張された分を含めていずれ
も理由がないものと判断する。

(1)  「太平洋戦争」の記述は控訴人梅澤の、「沖縄ノート」の各記述は控訴人梅澤及
び赤松大尉の、各社会的評価を低下させる内容のものであったと評価できること、
しかし、これらは高度な公共の利害に関する事実に係わり、かつ、もっぱら公益を
図る目的のためになされたものと認められること、以上の点は、おおむね原判決が
説示するとおりである。

(2)  座間味島及び渡嘉敷島の集団自決については、「軍官民共生共死の一体化」の大
方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定できず、これを総体として
の日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る。しかし、控訴人梅澤及び赤
松大尉自身が直接住民に対してこれを命令したという事実(最も狭い意味での直接
的な隊長命令ー控訴人らのいう「無慈悲隊長直接命令説」)に限れば、その有無を
本件証拠上断定することはできず、本件各記述に真実性の証明があるとはいえない。

(3)  集団自決が控訴人梅澤及び赤松大尉の命令によるということは、戦後間もないこ
ろから両島で言われてきたもので、本件各書籍出版のころは、梅澤命令説及び赤松
命令説は学会の通説ともいえる状況にあった。したがって、本件各記述については、
少なくともこれを真実と信ずるについて相当な理由があったと認められる。また、
「沖縄ノート」の記述が意見ないし公正なる論評の域を逸脱したとは認められない。
 したがって、本件各書籍の出版はいずれも不法行為に当たらない。

(4)  本件各書籍(「太平洋戦争」はその初版)は、昭和40年代から継続的に出版さ
れてきたものであるところ、その後公刊された資料等により、控訴人梅澤及び赤松
大尉の前記のような意味での直接的な自決命令については、その真実性が揺らいだ
といえるが、本件各記述やその前提とする事実が真実でないことが明白になったと
まではいえない。他方、本件各記述によって控訴人らが重大な不利益を受け続けて
いるとは認められない。そして、本件各記述は、歴史的事実に属し日本軍の行動と
して高度な公共の利害に関する事実に係わり、かつ、もっぱら公益を目的とするも
のと認められることなどを考えると、出版当時に真実性ないし真実相当性が認めら
れ長く読み継がれている本件各書籍の出版等の継続が、不法行為に当たるとはい
えない。(注 この判断の前提となる法律的判断は、後記の抜刷りのとおり)

(5)  したがって、控訴人らの本件請求(当審での拡張請求を含む)はいずれも理由が
ない。

【証拠上の判断】
(1)  控訴人梅澤は、昭和20年3月25日本部壕で「決して自決するでない」と命じ
たなどと主張するが、到底採用できず、助役ら村の幹部が揃って軍に協力するため
に自決すると申し出て爆薬等の提供を求めたのに対し、求めには応じなかったもの
の、玉砕方針自体を否定することもなく、ただ「今晩は一応お帰り下さい。お帰り
下さい」として帰しただけであると認めるほかはない(判決208頁以下に詳述)。

(2)  宮平秀幸は、控訴人梅澤が本部壕で自決してはならないと厳命し、村長が忠魂碑
前で住民に解散を命じたのを聞いたなどと供述するが、明らかに虚言であると断じ
ざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も
含めて到底採用できない(判決240頁以下に詳述)。

(3)  梅澤命令説、赤松命令説が援護法適用のために後から作られたものであるとは認
められない。これに関連して、照屋昇雄は、援護法適用のために、赤松大尉に依頼
して自決命令を出したことにしてもらい、サインなどを得て命令書(?)を捏造し
た旨を話しているが、話の内容は全く信用できず、これに関連する報道、雑誌論考
等も含めて到底採用できない(判決189頁以下に詳述。203頁で総合判断。)。

(4)  宮村幸延の「証言」と題する親書の作成経緯を、控訴人梅澤は、本件訴訟におい
て意識的に隠しているものと考えざるをえない。証拠上認められるその作成経緯に
照らし、「証言」は、家族に見せ納得させるためだけのものだと頼まれて初枝から
聞いていた話をもとに作られたものに過ぎず、遺族補償のために梅澤命令が捏造さ
れたものであることを証するようなものとは評価できない(判決194頁以下に詳
述)。

(5)  時の経過や人々の関心の所在、本人の意識など状況の客観的な変化等にかんがみ
ると、控訴人らが、本件各書籍の出版等の継続により、その人格権に関して、重大
な不利益を受け続けているとは認められない(判決273頁以下に詳述)。

【判断の大要(4)の前提となる法律的判断(判決121頁以下の抜刷り)】
(原判決の説示を引用する形をとっているが、ゴシック部分が当裁
判所が新たに判示した部分である。) 
 『人格権としての名誉権に基づく出版物の印刷、製本、販売、頒布等の事前差止め
は、その出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関するもので
ある場合には、原則として許されず、その表現内容が真実でないか又はもっぱら公益
を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復
困難な損害を被るおそれがあるときに限り、例外的に許される(最高裁昭和61年6
月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。

 本件では、既に出版され、公表されている書籍の出版等差止めを求めるものである
が、表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性
等に鑑み、原則として同様に解すべきものである。さらに、本件のように、高度な公共の利
害に関する事実に係り、かつ、もっぱら公益を図る目的で出版された書籍について、発刊
当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年にわたって出版を継続してきた
ところ、新しい資料の出現によりその真実性等が揺らいだというような場合にあっては、直
ちにそれだけで、当該記述を改めない限りそのままの形で当該書籍の出版を継続すること
が違法になると解することは相当でない。そうでなければ、著者は、過去の著作物につい
ても常に新しい資料の出現に意を払い、記述の真実性について再考し続けなければならな
いということになるし、名誉侵害を主張する者は新しい資料の出現毎に争いを蒸し返せるこ
とにもなる。著者に対する将来にわたるそのような負担は、結局は言論を萎縮させることに
つながるおそれがある。また、特に公共の利害に深く関わる事柄については、本来、事実
についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づ
き批判がなされ、更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰
り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成され、さらにその大方の意見自体が時
代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障
することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。特に、公務員に関する事
実についてはその必要性が大きい。そうだとすると、仮に後の資料からみて誤りとみなされ
る主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、
自由な言論の発展を保障するものといえる。したがって、新しい資料の出現によりある記
述の真実性が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む書籍の出版の継
続が違法になると解するのは相当でない。もっとも、そのような場合にも、@新たな資料等
により当該記述の内容が真実でないことが明白になり、他方で、A当該記述を含む書籍の
発行により名誉等を侵害された者がその後も重大な不利益を受け続けているなどの事情
があり、B当該書籍をそのまま発行し続けることが、先のような観点や出版の自由などと
の関係などを考え合わせたとしても社会的な許容の限度を超えると判断されるような場合
があり得るのであって、このような段階に至ったときには、当該書籍の出版をそのまま継続
することは、不法行為を構成すると共に、差止めの対象にもなると解するのが相当である。

 そして、本件で問題になっているのは、第2・2(1)アのとおり、太平洋戦争後期に
座間味島で第一戦隊長として行動した控訴人梅澤及び渡嘉敷島で第三戦隊長として行
動した赤松大尉が、太平洋戦争後期に座間味島、渡嘉敷島の住民に集団自決を命じた
か否かであって、控訴人梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における公務員に相当する
地位にあり各記述は高度な公共の利害に係り、後記のようにもっぱら公益を図る目的のも
のである
から、本件各書籍の出版の差止め等は、少なくとも、@その表現内容が真実
でない・・ことが明白であって、かつ、A被害者が重大な不利益を受け続けているとき
限って認められると解するのが相当である。』