エピソード

歴史修正主義について
 歴史修正主義(revisionism、リヴィジョニズム)とは「客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史モデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加える思想・歴史観のこと」とされています(Wikipediaより)。
 その典型的な例が「新しい歴史教科書をつくる会」の主張です。扶桑社から文科省に提出された『新しい歴史教科書』の検定草稿には、歴史を科学としてでなく「物語」と把握していました。つくる会が歴史修正主義の立場にあることの証明です。
 物語(フィクション)の分野は文学です。歴史(ノンフィクション)は科学です。
 安倍首相の根底の部分には、つくる会の歴史修正主義が存在しています。
 安倍首相を取り巻く人々を検証してみましょう。当事者が語った史料を第一級史料といいます。
◆例えば、富田メモ「私あれ以来参拝していない それが私の心だ」について、識者の意見を取り上げてみました。
 櫻井よしこ氏は「メモの書かれた当時、陛下のご体調が万全でなかったのは周知のとおりだ。体調が優れないとき、人間は考えてもみなかった思い違いもする」と分析します(『週刊新潮』2006年8月3日号)。
 岡崎久彦氏は「昭和史についての私の知識から言ってどうしても昭和天皇のお言葉と読めないのである。これは、陛下と富田長官の一対一のメモでなく、何らかの記者会見のメモである」(『産経新聞-正論』2006年8月2日付け)
 このような櫻井氏や岡崎氏の考え方を歴史修正主義といいます。
◆昭和天皇の身の回りの世話をした卜部侍従の日記が公開されました。「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」とあります。
 この2つの第一級史料の前では、櫻井氏や岡崎氏は沈黙を続けています。これが歴史修正主義者です。
 つくる会は、最初から、科学的な歴史教科書を自虐的として攻撃してきました。つくる会こそ日本的な教科書として、採算の取れる10%採択に全力を注ぎました。しかし、2001年の発表では、採択率は0.039%でした。2006年の発表では採択率は0.4%以下という惨敗でした。つくる会は、最初から政治的で、歴史修正主義者の集団ですから、この結果を自省することはありません。
 採択されなかったのは、歴史修正主義の立場の教科書に、教科書としての科学性・真実性を認められなかったということです。
 公選制から任命制の教育委員会が偏向しているだの、組織率30%にも満たない日教組が採択権を牛耳っているだのと、攻撃を欠かせません。
 学者が政治化しているので、分裂・抗争は当然です。「子どもたちが明日を夢にて使う教科書」の著者が、夢もなく、誹謗中傷し合っている姿はマンガです。
 安倍首相のブレーンを自認する八木八木秀次氏は、産経新聞の正論で「教育三法成立の本当の意義」として「教組主導の『民主的な学校づくり』から校長主導の学校運営に転換するために副校長などの職を新設した」「『教育の地方分権』を一部見直し、文科省の教委への権限を復活させた」と述べ、露骨に教育の中央集権化を評価しています。
 歴史修正主義の教科書を採択させようという意図が明確です。
 しかし、断言しておきます。学問・教育に政治が介入すると、つくる会のような運命となるのです。
 経済界、言論界、宗教界、政界に、歴史修正主義を支持するグループがいることも事実です。