エピソード

「つくる会」と「考える会」について
 我が家には、雑種ですが、ボーダーコリーの血をひく中型犬「豆太郎(愛称マメちゃん)」(娘が命名)がいます。
 娘が中学に入学したのを記念してもらい受けて17年になります。人間の年齢に換算すると84歳だそうです。娘が都会に嫁いだので、私たち夫婦が老犬(豆太郎)の世話をしています。
 自宅から20分ほど行くと、山を利用した公園があります。公園を20分ほど1週して、家に着くと約1時間経過しています。私たち夫婦には、かなり急勾配な散歩コースですが、健康に留意して、毎日頑張っています。「犬に連れられて健康な散歩」を実践しています。
 どうして、慰安婦決議案に犬の散歩が出てくるのか不思議に思われるかも知れませんね。
 安倍首相の言動を見ると、犬の散歩を思い出すのです。
 山を利用した公園では、よく放し飼いの犬に出会います。愛玩用の犬は、「キャンキャン」とわめき、騒いで、近寄ってきますが、「豆太郎」は動ずることはありません。あまりしつこいとチラッと睨みます。それだけで「キャン」と泣いて、退散します。「弱くて馬鹿な犬ほどよくほえる」にあてはまるのが愛玩用の犬です。
 かなり獰猛な「柴犬」が牙をむいて、かかってきます。飼い主の私が恐怖を感ずるほどです。喧嘩になってはと心配していると、一声低い声で「ウーッ」とうなると、尻尾を巻いて、獰猛な柴犬も退散です。
 お互い無視する犬もいます。「豆太郎」が「ワンワン」と挑発する「より大物」の犬もいます。
 本当に強くて、自信がある犬は、「泰然不動」を心得ているものだと感心しています。
 安倍首相の場合は、失礼ではありますが、犬にたとえると、愛玩用の犬とそっくりです。何にでも吠えたがる。
 以下は、従軍慰安婦問題についての安倍首相とその取りまき連の対応です。
 政界の安倍晋三氏を代表とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」、学問や教育界の藤岡信勝氏を代表とする「新しい歴史教科書をつくる会」、言論や思想界を代表するフジサンケイグループ、この3つのグループは緊密な連携をとりながら、新保守主義の運動を現実化してきたことが分ります。
 1993(平成5)年8月4日、河野洋平官房長官は「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という河野談話を発表しました。石原信雄副官房長官は、「談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官らと相談して決めた」と語っています。
 1997(平成9)年1月30日、「新しい歴史教科書をつくる会」は、創立総会を開き、初代会長に@西尾幹二、副会長に藤岡信勝を選出しました。
 つくる会は、歴史認識について、「歴史は科学ではない」・「歴史は物語である」と主張しています。
 つくる会は、従軍慰安婦についても、次の様に主張しています。
 「『従軍慰安婦』という用語は、第二次世界大戦前には使われていない。慰安婦とするために日本の国家政策として強制連行をしたと証明できる公文書は発見されていない。また戦争中、慰安婦は、世界中の軍隊に存在したもので、ことさら日本を訴え続ける外国訴訟団ばかりを取り上げる教科書には偏りがある」。
 2月27日、自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)が結成されました。発足時の会長は中川昭一、事務局長は安倍晋三、幹事長は平沼赳夫である(中川が大臣になったので、現会長は古屋圭司、幹事長は衛藤晟一、中山成彬は文科相就任まで座長)。
 「教科書議連」と「つくる会」とは目的を同じくする緊密な関係にある団体です。。
 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(安倍晋三事務局長)は、講師という資格で、次々と関係者を招いて、厳しい質問をしています。
 3月6日、遠藤昭雄文部省審議官に対して、渡辺博道議員は「客観的には『いわゆる従軍慰安婦問題』という記述なのであって、『従軍慰安婦』は客観的記述ではない」「これを載せることによってどういった教育的配慮をしているのか」と質問しました。
 3月13日、丁子 惇東京書籍社長で教科書協会会長と安倍晋三事務局長のやり取りは以下の通りです。
 安倍事務局長「強制連行についてはなかった、というのが政府の公式の回答であります」とし、「それがあったかのように教科書に載せるということをどう考えておられるのか」
 丁子教科書協会会長「前の官房長官(河野洋平氏)が言われたように歴史教育を通して記憶にとどめていく必要があるということで、・・・今回載せたということになります」
 安倍事務局長「中学校の教科書には「従軍看護婦」については全く一行も触れていないわけであります。従軍慰安婦には触れるけれど、従軍看護婦には触れない。これはどういうふうに整理をしておられるのでしょうか。」
 丁子教科書協会会長「小学校の教科書に載せるつもりは今のところございません」
 安倍事務局長「今のところ?」
 安倍晋三事務局長は、従軍慰安婦が教科書に掲載されることを批判しています
 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(安倍晋三事務局長)は、講師という資格で、次々と関係者を招いて、厳しい質問をしています。
 3月26日、吉見義明中央大学教授に対して、吉田六左エ門議員は「吉見先生があまりこの方向に移行されると、先生もあるいはその国のお方なのかなと、私は疑問を抱くほど最近それらの人たちの水面下での教科書選定に対するパワーをなんとなく感じているんです」と質問しました。
 4月9日、石原信雄元官房副長官は、河野談話の経緯を問われて、「結論として、強制連行を裏付ける資料は見つからなかった。談話発表の直前に行った韓国での元慰安婦十六名からの聞き取りが決め手になった。この調査については裏付け調査はしていないが、当時の状況ではそれはできなかった」「裏付け調査はせずに河野談話を決定したことに異論のあることは承知している。決断したのだから弁解はしない」と語っています。
 5月27日、衆議院決算委員会で、安倍晋三氏が河野談話や教科書問題を執拗に取り上げ、質問しています。
○安倍晋三分科員「私どもの勉強会におきまして、何回か文部省の方に来ていただきまして、お話を伺ったわけでありますが、こうした記述が載るという根拠になったのは、先ほど申し上げました宮澤官房長官の談話と、そして河野官房長官の談話であります。しかし、先ほども申し上げましたように、河野官房長官の談話の前提がかなり崩れてきているという大きな問題点があると思うんですね。ですから、その中で、もし官房長官談話が強制性はなかったというように修正をされたら、これは果たして検定の中身も変わってくるのかどうか、このことについてお伺いをしたいと思います」
○辻村哲夫(文部省初等中等教育局長)政府委員「ただいまこの根拠が云々という御指摘があったわけでございますけれども、この政府調査、これ自体は何ら変更をされていないわけでございます。予算委員会でたびたび取り上げられておりますけれども、その際の政府答弁におきましても、強制性は認められているということで、この政府答弁も一貫をしているわけでございます」
 安倍晋三氏は、衆議院で政府費に河野談話の取り消しを要求しています
 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(安倍晋三事務局長)は、講師という資格で、次々と関係者を招いて、厳しい質問をしています。
 6月17日、安倍事務局長と河野洋平元官房長官のやり取りです。
 安倍晋三事務局長「しかも、それがわが国の場合は教科書に載るということになってしまったわけです。本来、「官房長官談話」と教科書に載ると別の次元の話なんですが、日本のシステムはそうなっているんです。そうすると、ここのところを直さない限り教科書が直せないというのが文部省の……。私も何回も質問をしても、文部省が金科玉条のごとく、「この『談話』があるから、私たちは悪いことはしていませんよ。個人的にはこんなのは載せるべきじゃないと思っているけれども、これはしょうがないんです」と、文部省、誰に言ってもそういうことなので、我々としてやはりもう一度この検証をちゃんとするか、また事実として確定していないということであれば、事実として確定していないということにしなければいけないのかなと」
 河野元官房長官「いや、安倍先生のお話はそれなりによくわかりますが、私は「官房長官談話」を出すにあたって、そんなあやふやな状況下で出したつもりはないんです。これはその当時の調査、その当時の様々な……。あの当時、時間的な問題ももちろんあったかもしれません。「もっと慎重にやれ」という人もあったかもしれませんが、私は少なくともずーっと調査を重ねていって、あの時点で、これは「官房長官談話」に書きました意味において、私は「『強制性』は認められる」と言って憚らないという最終的な判断をいたしました」
 安倍晋三事務局長は、河野洋平氏に河野談話の取り消しを要求しています
10  こうしたやり取りを通じて、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、「通算10回にわたる勉強会によって、いかにわが国の歴史教育には深刻な問題が存在しているか、あるいはいわゆる慰安婦問題がいかに歪曲されて伝えられているか、そして日本外交のこれまでのあり方がいかに今日の問題を招く端緒となったか等々の事実が明らかになった」とし、それを改める「国民運動を精力的かつダイナミックに展開していく」と主張しました。
11  1998(平成10)年2月、「新しい歴史教科書をつくる会」理事会は、「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任し、大月隆寛を2代目の事務局長に選出しました。
12  1999(平成11)年9月15日、「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二会長は、手紙で大月隆寛を解任勧告しました。
 7月29日、「新しい歴史教科書をつくる会」理事会は、藤岡信勝副会長と対立する濤川栄太副会長を解任し、藤岡の理事は留任させました。
13  2000(平成12)年4月フジサンケイグループ(フジテレビ・産経新聞など)の出版事業部門である扶桑社は、『新しい歴史教科書』・『新しい公民教科書』を文部省に検定申請しました。しかし、『新しい歴史教科書』については137箇所、『新しい公民教科書』については99箇所に検定意見が付けられました。
14  2001(平成13)年3月21日、安倍晋三事務局長であった「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、自民党本部で総会を開き、教科書の「公正な採択を求め、前面で戦っていく」ことなどを方針として決定した。
 4月3日フジサンケイグループの扶桑社版『新しい歴史教科書』・『新しい公民教科書』が検定意見箇所を修正し、検定に合格しました。
 9月、「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二会長が辞任して、新会長にA田中英道、新副会長に高橋史朗・種子島経・藤岡信勝を選出しました。
15  2002(平成14)年2月、「新しい歴史教科書をつくる会」の理事会は、親米保守の立場を確認したので、反米保守の立場の小林よしのりと西部邁が退会しました。
 7月、「新しい歴史教科書をつくる会」の第5回定期総会で、遠藤浩一・九里幾久雄・中西輝政・新田均を新理事に選出しました。
16  2004年6月14日、安倍自民党幹事長は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」主催のシンポジウムで来賓として「『従軍慰安婦』という歴史的な事実はなかった。前回の教科書検定では左の勢力により『つくる会』に圧迫があり、言論の自由が奪われようとしていた。文部科学省にも教科書改善への働きを積極的に行っている」と挨拶しました。
17  2005(平成17)年3月2日、「新しい歴史教科書をつくる会」とともに行動してきた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は総会を開き、文科省に対して「つくる会」教科書の採択に有利になる「教科書採択手続きの改善に関する提案」を提出しました。同総会には、文科省の教科書担当の官僚のトップである山中伸一審議官と片山潤一教科書課長が参加しました(『産経新聞』2005年3月3日付け)。
 4月フジサンケイグループの扶桑社は、検定規則(省令)に違反し、検定通過前の白表紙本を教職員に配布していた事が発覚し、管理の徹底と回収を三度に渡って文科省から指導されていた事が明らかとなりました。
18  2006(平成18)年1月16日、「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二名誉会長が宮崎正治事務局長を解任しようとしましたが、擁護派の八木秀次と対立し、八木西尾幹二が名誉会長、遠藤浩一・工藤美代子・福田逸が副会長を辞任しました。
 1月17日、「新しい歴史教科書をつくる会」の新会長にB八木秀次が就任しました。
 2月27日、無断中国旅行を責められ、八木秀次が会長を辞任し、C種子島経が会長に就任しました。八木前会長は「今回の解任は私の意図と離れたいきなりのものであり、またその手続きや理由にも納得のいかないものがあり、受け入れることができないのです」とつくる会のニュースで声明を発表しています。
 4月30日、種子島経が会長を辞任しました。
 5月1日D高池勝彦が会長代理に就任しました。
 6月20日E小林正が会長、副会長に高池勝彦・藤岡信勝が就任しました。
 6月30日、八木秀次は、「新しい歴史教科書をつくる会」とは別組織の「日本教育再生機構」を設立しました。つくる会の会員であった屋山太郎も、八木に同調して「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立しました。
 9月26日、安倍晋三首相が誕生しました。戦後生まれの最初の総理大臣です。
 10月3日、安倍首相は、衆院代表質問で、従軍慰安婦問題に対する認識を問われ、「いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、93年8月4日の河野官房長官談話を受け継いでいる」と述べました。
 安倍首相は「河野官房長官談話を受け継いでいる」と表明しました(思わずウッソーと叫んでしまいました)
19  2007(平成19)年1月31日、日系のマイク=ホンダ下院議員らは、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化した」などという対日決議案を提出して、「公式に謝罪する日本の首相が声明を出すべきだ」と要求しました。
 3月1日、安倍首相は、旧日本軍による従軍慰安婦の強制動員を認めた河野洋平官房長官(当時)の談話に対する見解について、旧日本軍の従軍慰安婦について「強制性があったことを証明する証言や、それを裏付ける証拠はなかった」と述べました。この反論がアメリカ世論の目をさまさせました(持論が出ました)
 3月6日、アメリカの最有力紙「ニューヨーク・タイムズ」は、社説で、安倍発言を批判し、日本の国会に「率直な謝罪と十分な公的補償」を表明するよう求めました。
 3月8日、安倍首相は、「政府は『河野談話』を継承する立場であり、『慰安婦』問題を改めて調査する考えはない」と述べました。
 4月27日、安倍首相は、ペロシ下院議長(民主党)やブッシュ大統領(共和党)に「慰安婦の方々を非常に困難な中でつらくて苦しい状況に追いやったことに対して、人間として首相として、心から同情しており、申し訳ない思いだ」と謝罪しました。これに対してブッシュ大統領は「(謝罪を)受け入れる」と応えました。この謝罪がアメリカ世論と議会の動きを鎮静化させました(又々2枚舌?)。
 しかし、外遊先で記者団に「米国に謝罪したのではない」と強調し、親日的な共和党関係者からさえ「どういうつもりなのか」といぶしがられました。やっぱりこれが安倍首相の持論ですよ
20  2007(平成19)年4月、「新しい歴史教科書をつくる会」の地方支部は、八木秀次の「日本教育再生機構」、屋山太郎の「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を分派活動として糾弾しました。
 5月31日、「新しい歴史教科書をつくる会」は、分派活動の責任を求めて小林正を解任し、副会長のF藤岡信勝が会長に就任しました。フジサンケイグループの扶桑社は、つくる会との関係解消を通告し、今後は「日本教育再生機構」(八木秀次)・「教科書改善の会」(屋山太郎)と提携することを表明しました。