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「倭の五王と朝鮮支配の動揺」

『宋書』倭国伝
「高祖の永初二年、詔して日く、『倭の讃万里貢を修む。遠誠宣しくあらわすべく、除授を賜ふべし』と。
 太祖の元嘉二年、…讃死して弟珍立つ。
 …二十年、倭国王済、使を遣はして奉献す。…済死す。世子興、使を遣はして奉献す。…興死して弟武立ち、
 …順帝の昇明二年,使を遣はして表を上りて日く、『封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰、躬ら甲冑を環き、山川を跋渉して、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国を渡りて海北を平ぐること九十九国。王道融泰にして、土を廓き畿を遐にす累葉朝宗して歳に愆たず。(中略)而るに句驪無道にして、図りて見呑せんと欲し、辺隷を掠抄し、虔劉して巳まず。毎に稽滞を致し、以って良風を失い、路に進と日うと雖も、或は通じ或は不らず。(中略)今に至りて、甲を練り兵を治め、父・兄の志しを申べんと欲す。義士虎賁、文武功を効し、自刃前に交わるとも亦顧みざる所なり。(中略)』と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に叙す」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)