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「石上宅嗣と芸亭院」

『続日本紀』
「天応元年六月辛亥条
大納言正三位兼式部卿石上大朝臣宅嗣薨ず。詔して正二位を贈る。宅嗣は左大臣従一位麻呂の孫、中納言従三位弟麻呂の子なり。性郎悟にして姿儀有り。経史を愛尚して渉覧する所多し。好みて文を属り、草隷を工にす。(中略)宅嗣、辞容閑雅にして時に名有り。風景山水に値うごとに、時に筆を援きてこれを題す。宝字より後、宅嗣及び淡海真人三船を文人の首となす。著す所の詩賦数十首、世多くこれを伝誦す。其の旧宅を捨して以て阿□寺となし、寺内の一偶に特に外典の院を置く。名けて芸亭と日う。もし好学の徒有りて、就きて閲せんと欲する者は、恣にこれを聴す。仍りて条式を記して後に貽す。其の略に日く。『内外の両門は本一体たり。漸く極れば異なるに似たれども、善く誘けば殊ならず。僕家を捨して寺となし、心を帰すること久し。内典を足すけんがために外書を加え置く。地は是れ伽藍、事須く禁戒すべし。庶くは、同志を以て入る者は、空有に滞ること無くして兼ねて物我を忘れ、異代に来たらん者は、塵労を超出して覚地に帰せんことを』と。其の院今見に存せり。臨終に遺教して薄葬せしむ。薨ずる時年五十三。時の人これを悼む」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)