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「国司と郡司との闘争」

『日本三代実録』
「貞観七年十二月廿七日甲戌、尾張国言すらく、昔広野河の流、美濃国に向えり。この時に当りて百姓害なし。しかるに頃年河口壅塞し、すべてにこの国に落つ。雨水に遭うごとにややもすれば巨害を被る。望み請うらくは河口を掘り開き、旧流に趣かしめん、と。太政官処分すらく、請いに依れ、と。
 貞観八年七月九日辛亥、これより先、尾張国言すらく、太政官の処分を奉り、広野河の口を掘り開き、旧流に趣かしむ。しかるに美濃国各務郡大領各務吉雄、厚見郡大領各務吉宗ら、兵衆歩騎七百余人を率いて河口に襲来し、郡司を殴傷し、役夫を射殺す。河水血を添え、野草膏に霑う。成功まさに畢らんとするにこの相妨ぐること有り、と。
 貞観八年七月廿六日戊辰、これより先、尾張国言すらく。美濃国各務郡大領各務吉雄、厚見郡大領各務吉宗ら、乱を作すの後、いまだ幾日をも経ず、人夫数百人を率いて倉を斫り壊ち、河水を流失せしめ、沙石を運び積みて河口を埋め塞ぐ。吉雄ら百余騎をひきいて河辺を往還す。随近の兵を発してかの逆乱の由を糺さんと欲せども、恐るあくは闘争河を掘るの論より起こりて、遂に両国刃を接うるの□にいたらん。よりて掘り開くを停め、伏して裁下を待つ。中嶋郡の人磯部逆麻呂ら三人、身、河を掘るの役に従い、同じく吉雄のために射殺せらる、と。この日、太政官美濃国司に下知し、吉雄らの犯過を推糺せしむ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)