(s0209)

「院政成立の事情」

『愚管抄』
「後三条院おりさせ給て後、世を知食んとする程に、ほどなく隠れさせ給ふ。此時よりかく太上天皇にて世を知食事久しき也(中略)。此御時院中に上下の北面を置かれて、(中略)
さて世のすえの大なるかはりめは、後三条院世のすにひとへに臣下のまゝにて摂録臣世をとりて、内は幽玄のさかいにてをはしまさむ事、末代に人の心はをだしからず。脱□の後太上天皇とて政をせぬならひはあしき事なりとをぼしめして、かたがたの道理さしもやはをぼしめしけん。委しくは知ら子ども、道理のいたりよも叡慮にのこる事あらじ。昔は君は政理かしこく、摂録の人は一念私なくてこそあれ、世のすへには君はわかくて幼主がちにて、四十に余らせ給ふは聞へず。御政理さしもなし。宇治殿などはをはく私ありとこしは御覧じけめ。太上天皇にて世をしらん、当今はみなわが子にてこそあらむずればと思しめしける間に、ほどなく位をりさせ給て、延久四年十二月八日御譲位にて、同五年二月廿日住吉詣とて、陽明門院ぐしまいらせて、関白御ともして、天王寺八幡などへまいりめぐらせ給ひけり。(中略)さて同四月廿一日より御悩大事にて五月七日御年四十にてうせさせ給ひけり。かゝる御心のをこりけるも、君の御わたくそやをほかりけん、我御身はしばしも御脱□ののち世をばをこなひ給はず。 事のだうりは又世の末には尤かゝるべければ、白河院はうけとらせをはしまして、太上天 皇ののち七十七まで世をばしろしめしたりけり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)