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「僧兵」

『扶桑略記』
「永保元年条
四月廿八日、辰刻、叡山の大衆、数千の軍兵を引率し、三井寺に行き向う。ここに三井寺の大衆また数千の随兵を率いて、各々其の陣を張り、防征戦わんと欲す。ここに漸く晩景に及び、山上の大衆、楯を引いて逃げ去る。(中略)
六月九日、叡山の僧徒数千人、或いは甲冑を着し、戦士を引率し、三井寺に行き向い、寺塔・僧房等を焼亡す。仏像・経巻悉く灰燼となる。余炎を免るるの堂舎等、七分の一なり。開闢以来、未だかくの如きの□禍あらず。
九月十五日戊戌、未時、山僧数百の兵衆を引率して三井寺に行き向ふ。重ねて残りの堂舎僧房等を焼き畢んぬと云ふ。堂院二十処、経蔵五所、神社九処、僧房一百八十三処なり。但し、舎宅は之を注し載せず、その数幾千なるを知らざるのみ。門人上下各皆山林に逃げ隠れ、或は悲を含みて、黄泉に入り、或は愁を懐きて蒼天を仰ぐ。今年末法に入りてより三十年を歴たり。
 廿六日、辛未興福寺大衆数千人、七大寺等の諸僧を引率して洛陽に参上す。春日神民の愁に依るなり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)