(s0234)
「保元の乱の背景」 |
『愚管抄』 |
「さて上々の御中あしきことは、崇徳院の位にをはしましけるに、鳥羽院は長実中納言がむすめをことに□愛にをぼしめして、(中略)その御子のよしにて外祖の儀にてよくよくさたしまいらせよと仰せられければ、ことに心にいれて誠に外祖のほしさにさたしまいらせられけるに、その定にて譲位候べしと申されければ、崇徳院はさ候べしとて永治元年十二月に御譲位ありける、保延五年、八月に東宮にはたゝせ給にけり。その宣命に皇太子とぞあらんずらんと思召けるを、皇太弟とかゝせられけるとき、こはいかにと崇徳院の御意趣にこもりけり」 |
現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |