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「御霊信仰の発展」

『日本三代実録』
「貞観五年五月条
廿日壬午、神泉苑において御霊会を修す。(中略)王公卿士赴き集いて共に観る。霊の座六前、几・莚を設け施し、花果を盛り陳ね、恭敬薫修す。律師慧達を延ひて講師となし、金光明経一部、般若心経六巻を演説せしむ。雅楽寮の怜人に命せて楽を作さしめ、帝の近侍の児童及び良家の稚子を以て舞人となす。大唐・高麗更に出でて舞い、雑技・散楽競いてその能を尽くす。この日宣旨あり、苑の四門を開きて都邑の人の出入し縦に観るを聴さしむ。所謂御霊とは崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・橘逸勢・文室宮田麻呂等これなり。並びに事に坐して誅せられ、冤魂□をなす。近代より以来、疫病繁く発り、死亡するもの甚だ衆し。天下以為く。此の災、御霊の生む所なり。京畿よりはじめて爰に外国に及び、夏天秋節に至るごとい御霊会を修すこと、往々にして断えず。
あるいは仏を礼いて経を説き、あるいは歌いかつ舞う。童艸の子をして□□相撲せしむ。騎射芸を呈し、走馬勝を争う。倡優□技、逓いに相誇り競い、聚りて観る者顛咽せざるはなし。遐迩因循し、漸く風俗をなす。今茲春の初、咳逆疫をなす。百姓多く斃れ、朝廷為に祈る。ここに至りてすなわちこの会を修し、以て宿祷に賽する」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)