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「保元の乱」

『兵範記』
「保元元年七月五日条
去月朔以後、院宣により、下野守義朝并びに義康等、陣頭に参宿す。(中略)此の外源氏平氏の輩、皆悉く随兵を率いて鳥羽殿に祇候す。蓋是れ法皇の崩後、上皇左府、同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す、其の儀風聞す。旁用心せらるるなり。
十日上皇、白川殿において軍兵を整えらる。是れ日来の風聞、已に露見するところなり。(中略)前大夫尉源為義、前左衛門尉同頼賢・八郎同為知・九郎冠者等を引率して初参す。頃年以来、故院の勘責により、各篭居す、今此の時に当り、懇切に召し出さるるなり。(中略)前馬助平忠正、散位源頼憲、各軍兵を発す。偏えに合戦の儀たり。(中略)禁中時に高松殿彼の僉議により、同じく武士を集めらる。下野守義朝、右衛門尉義康、陣頭に候ず。此の外安芸守清盛朝臣、兵庫頭頼政(中略)勅定により参会す。(中略)
十一日鶏鳴、清盛朝臣、義朝、義康等、軍兵都六百余騎、白河に発す。(中略)彼是合戦已に雌雄に及ぶ由、使者、参奏す。(中略)午刻、清盛朝臣以下将軍、皆内裏に帰参す。(中略)上皇、左府、行方を知らず。但し左府においては、已に流矢に中る由、多く以て称し申す。為義以下軍卒、同じく行方を知らずと云々」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)