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「義朝の四子斬殺」

『保元物語』
「十参になる乙若殿は、(中略)波多野に取付たる弟共を引放して、『あさましの者共の有様や。(中略)な泣きそ、子供たち。泣とも誰かは助べき。必死る習あむなれば、たゞ其時と思べし。おとなに成て死んも、只今切れんも、命を惜む習、唯同事にてぞあらんずらむ。いきても今は又何のせんかは有べき。世にもあらせ給べき父は討れ給ひぬ。頼べき兄達は皆切れ給ひぬ。助べき下野殿は敵也。所領の一所をも持ずして、乞食頭陀の行をして、あれこそ為義が子供のなれるはてよとて、人に指をさゝれて何かはせむ。それより父を恋しく思ひたてまつらば、音を留て泣止、西に向ひて手を合、父入道殿、我等四人一所へ迎給へ。南無阿弥陀仏と申さば、父のまちます所へやがてまいらんずるぞ』といひければ、三人の弟共、兄の教えに随て、音を泣止、西に向手を合て伏拝めば、五十余人の兵共、皆涙を流しける」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)