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「有力御家人の抗争。梶原景時」

『吾妻鏡』
「正治元年十月二十七日条
 凡そ文治以降、景時の讒に依り命を殞い失滅するの輩、勝計うべからず。或いは今に見存し、或いは累葉愁憤を含むこれ多し。即ち景盛去んぬる比、誅されんとするも彼の讒により起こる。其の積悪、定めて羽林に帰し奉るべし。世のため君のため、対治せざることあるべからず。
 十二月十八日条
景時の事、諸人の連署状に就き、日来連々と沙汰を経られ、遂に今日、鎌倉中を追わる。和田左衛門尉義盛、三浦兵衛尉義村等、これを奉行す。仍りて相模国一宮に下向す。其の後、彼の家屋を破却し、永福寺僧坊に寄附せらると云々」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)