(s0293)
「義時追討の院宣」 |
『小松家文書』 |
「右弁官下す。五畿内・諸国 東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・大宰府 應に早く陸奥守平の義時朝臣の身の追討し、院の庁に参り 裁断を蒙るべき諸国庄園の守護人地頭等の事。 右、内大臣宣す。勅を奉るに、近曽関東の成敗と称し、天下の政務を乱る。纔に将軍の名を帯ぶと雖も猶以て幼稚の齢に在り。然る間彼の義時朝臣、偏に言詞を教命に仮り、恣に裁断を都鄙に致す。剰己が威を耀し皇憲を忘るるが如し。之を論ずるに、政道謀反と謂ひつべし。早く五畿七道の諸国に下知して、彼の朝臣を追討せしめよ。兼ねて又諸国庄園の守護人地頭等、言上を経べきの旨有らば、各、院の庁に参れ。よろしく上奏を経て状に随ひて聴断すべし。抑も国宰ならびに領家等、事を綸□に寄せ、更に濫行を致すこと勿れ。縡は是厳密なり。違越せざれ者。諸国承知し、宣に依りて之を行へ。 承久三年五月十五日 大使三善の朝臣 大弁藤原の朝臣」 |
現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |