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「宝治合戦」

『吾妻鏡』
「宝治元年四月四日条
今日秋田城介入道覚地 俗名景盛、藤九郎盛長息、 高野より下着し甘縄の本家に在りと云々。
四月十一日。日来、高野入道覚地、連々として左親衛の御第に参る。今に殊に長居し、内々に仰せ合わさるる事等なりと云々。又子息秋田城介義景に対し殊に諷詞を加え、鼻を孫子九郎泰盛に突かしむと云々。これ三浦一党、当時武門に秀で、傍若無人なり。漸く澆季に及べば、吾ら子孫定めて対陽の儀に足らざる歟。尤も思慮を迴らすべきの処、義景といゝ泰盛といゝ、緩怠の稟性、武備なきの条、奇怪なりと云々」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)