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「後醍醐天皇の討幕計画」

『花園天皇宸記』
「元享四年十一月朔日条
凡そ近日或人云う、資朝・俊基等、衆を結んで会合乱遊す。或いは衣冠を着さず、殆ど裸形なり、飲茶の会これあり、これ達士の風を学ぶ歟。□康の蓬頭散帯、達士先賢尚ほその毀教の譴を免がれず、何をか況や未だ高士の風に達せざるをや。偏へに嗜欲の志を縦にし、濫りに方外の名を称す。豈に孔孟の意に協はん乎。この衆、数輩あり。世にこれを無礼講 或いは被礼講と称すの衆と称すと云々。緇素数多に及ぶ。その人数一紙に載せ、去比六波羅に落とす。或いは云う。祐雅法師、自筆を染めてこれを書くと。この内或いは高貴の人ありと云々。件の注文、未だ一見せず。仍てこれを知らず」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)