(s0357)

「後醍醐天皇の京都還幸」

『公卿補任』
「正慶二年癸酉 二月日先帝密かに隠州の謫所を出御、伯州大山寺に幸す。五月八日暁、主上并びに両上皇、東国に赴かしめ給う。京都守護越後守仲時・時益など囲繞し奉る。而るに江州馬場宿の辺において、三皇留らしめ給う。これ守護の輩、自殺の故なり。同廿二日関東敗没す。六月四日先帝御入洛、東寺に幸す。同五日、元の如く二条富小路の皇居に入御、自立登極す。但し重祚の礼に及ばず。元号は元弘に復し、元年九月已後の任官叙位は皆停廃の由、これを仰せらる。礼成門院はもとの如く中宮となし、皇太子康仁を廃す」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)