(s0358)
「建武政権の政治機構」 |
『梅松論』 |
「保元・平治・治承より以来、武家の沙汰として政務を恣にせしかども、元弘三年の今は天下一統に成しこそめづらしけれ。君の御聖断は延喜・天暦のむかしに立帰りて、武家安寧に比屋謳哥し、いつしか諸国に国司・守護を定め、卿相雲客、各其の位階に登りし躰、実に目出度かりし善政なり。武家、楠・伯耆守・赤松以下山陽・山陰両道の輩、朝恩に誇る事傍若無人ともいひつべし。 御聖断の趣、五畿七道八番にわけられ、卿相を以て頭人として決断所と号して新たに造らる。是は先代引付の沙汰のたつ所也。むかしのごとく武者所ををかる。新田の人々を以て頭人にして諸家の輩を詰番せらる。古に興廃を改て、今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべしとて新なる勅裁漸く聞えけり」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |