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「建武政権に対する武士の批判」 |
| 『梅松論』 |
| 「爰に京都の御聖断を聞奉るに、記録所・決断所ををかるゝといへども、近臣臨時に内奏を経て非儀を申し断ずる間、綸言朝に変じ暮に改まりしほどに、諸人の浮沈掌を返すが如し。或は先代滅亡の時に遁来る輩、又高時の一族に被官の外は、寛宥の義をもて死罪の科を宥めらる。又天下一統の掟を以安堵の綸旨を下さるゝといへ共、所帯をさめるゝ輩恨み含、時分公家に口ずさみあり、尊氏なしといふ詞を好みつかひける。抑累代叡慮をもて関東を亡されし事は武家を立らるまじき御為也。然るに直義朝臣太守として鎌倉に御座ありければ、東国の輩、是に帰伏して京都には応ぜざりしかば、一統の御本意今におひてさらに其益なしと思食ければ、武家より又公家に恨みをふくみ奉る輩は、頼朝卿のごとく天下を専にせむことをいそがしく思へり。故に武家と公家、水火の争にて元弘三年も暮にけり」 |
| 現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
| 『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
| 『精選日本史史料集』(第一学習社) |
| 『日本史重要史料集』(浜島書店) |
| 『詳解日本史史料集』(東京書籍) |