(s0372)
「南北朝動乱のはじまり」 |
『保暦間記』 |
「建武三年六月に新院の御一腹の御弟宮豊仁親王を、新院の御為子の儀にて、御位に付け奉られ給ひけり。政務をば執権は武蔵守高階師直、此の如く成て天下の事を行れけり。関白は近衛の北殿基嗣公、征夷将軍には左兵衛督源尊氏、五月より十月に至る迄合戦あり。終に叶ひ難く、主上 今者先帝 京都へ十一月出させ給ふ。尊氏本望也と悦で迎へ奉りて、先帝を太上天皇の尊号を送り奉る。御子成良親王は本より尊氏養ひ進せたりければ、東宮に立て奉りけり。後嵯峨の院法皇の御勅に任せて、御位は両院の御末、打替々々、付せ賜べしと定まりければ、中々先帝も御心安く思食されかえる。然るに、顕家卿舎弟顕信朝臣、伊勢の国にて義兵を挙、内々申通ずる事有て、密に先帝、都を出させ給ひて、同十二月に三種神器を具足し奉り、吉野山へ入せ給ふ。又国々起て所々に合戦あり」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |