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「応永の乱」

『応永記』
「大内義弘、将軍義満の使者絶海和尚に対面して云く、『某十六歳にして四千余騎を卒、探題相共に九州に渡海、二十箇年の間、此彼こに宗徒の合戦ども二十八箇度、敵を滅し無二の忠節を致すは世の知る所也。又近年山名陸奥守俄に京都は発向する間、(中略)入道生涯を捨てて合戦仕て、(中略)陸奥守討死し畢ぬ。仍其勲功に和泉・紀伊国両国を給ふ。某南朝御和睦の事を取申し、両朝一統するのみに非ず、三種の神器を当朝に納む。(中略)是又随分の忠節に非ざるか。其後去々年少弐退治の事再三仰を蒙る間、(中略)入道罷下て不日に大敵を退治す。後日に承れば、入道を退治せらるべきの由、少弐・菊池が方へ竊に仰せ下さると云々。三十箇年の間無二の忠節を致す処に、何の子細ありて加様の御計ひ有けるぞや。是一。又和泉・紀伊国、眼前の御大事に及ぶ可かりしを、入道一命を捨て忠を致す間、其の御感に依り彼の国を拝領す。去れば子々孫々迄も御違変有間敷かと存る処に、幾程なくして召放たるべしと云々。是一。又少弐退治の時、舎弟伊予守討死仕の処に、其子勲功之賞に預からず。是一。結句召上せて京都に於て誅さるべしとの御評議と云々。是程に御意に違て は争か上洛仕る可きか。(中略)大内政道を諌め奉る可きの由関東と同心申す子細あり。今仰せ随て上洛仕なば、関東の契諾相違すべし。来月二日関東同時に上洛仕るべきの由、御申あるべし』とて座敷を立」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)