(s0389)

「動乱期の政治思想」

『梅松論』
 「正成の頃、持参せらる。実検あり、紛るべきに非ず。哀なるかな、去春将軍・下御所御両所、兵庫より九州へ御下向のよし、京都へきこえて、叡慮快かりしかば、諸卿一同に、『今は何事かあるべき』とて、よろこび申されける時、正成奏聞して日、『義貞を誅伐せられて、尊氏卿をめしかへされて、君臣和睦候へかし。御使におひては正成仕らん』と申上たりければ、『不思議の事を申たり』とて、さまざま嘲弄どもありける時、又申上候けるは、『君の先代を亡されしは、併尊氏卿之忠功なり。義貞、其証拠は、敗軍の武家には、元より在京之輩も扈従して遠行せしめ、君の勝軍をば捨奉。爰を以、徳なき御事を知しめさるべし。倩事の心を案ずるに、両将軍西国を打靡して、季月の中に責上り給ふべし。 其時は更に禦戦術あるべからず。上に千慮有といへども、武略の道におひては、いやしき正成が申状たがふべからず。たゞいまおぼしめしあはすべし』とて、涙をながしければ、実に遠慮の勇士とぞ覚えし。此儀申達せざれども、討手として尼が崎に下向して逗留の間に、京都へ申ていはく、『今度は君の戦かならず破るべし。人の心を以、其事をはかるに、去元弘のはじめ、 潜に勅命を受けて、俄に金剛山の城に篭しとき、私のはからひにもてなして、国中を憑て其功をなしたりき。 爰にしりぬ、皆心ざしを君に通奉し故なり。今度は正成、和泉・河内両国の守護として、勅命を蒙り軍勢をもよほすに、親類一族、猶以難渋の色あり。如何にかはんや国人土民におひてをや。是則天下君を背きたてまつる事明けし。しかる間、正成存命無益なり。最前に命を落べき』よし申切たり。最後の振舞符合しければ、まことに賢才武略の勇士とも。かやうの者をや申すべきとて、敵も御方もおしまぬ人ぞなかりける」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)