(s0455)
「義満の勢威」 |
『椿葉記』 |
「さて明徳四年四月新院は崩御なりぬ。其のち准后はやがて太政大臣になり給て、威勢いよいよさかへましまして、ふかかざの草木をなびかすがごとくに、四夷帰伏して万国靜謐なり、(中略)さても准后はきた山にさんそうをたてらる。このところは西園寺の居所んてあるを申うけられて、むかし常盤井の相国の造営せられしにもなをたちこえて、玉をみがきこがねをちりばねてつくりたてられて、応永十五年三月行幸を申さる。十日ばかり御逗留のあひだ、舞童御覧・三船・和歌・蹴鞠など御あそびをつくされしに、(中略)さためあきうきよのならひのうたれさは、いくほどなく同五月六日じゆこう薨じ給ふと 鹿苑院と申す。 世中は火を消たるやうにて、御あとつぎも申をかるゝむねもなし。此若公にてやとさたありしほどに、管領勘解由小路左衛門督入道をしはからひ申て、嫡子大樹相続せらる」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |