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「嘉吉の乱の発端」

『看聞御記』
「嘉吉元年六月廿四日、雨降、赤松に公方入り申す。猿楽ありと云々。晩に及んで屋形に喧嘩出来すと云々、騒動の是非いまだ聞かざるの処、三条手負て帰る。公方の御事は実説分明ならず。赤松炎上す。武士東西に馳せ行き、猥雑いわんばかりもなし。夜に至りて伊予守の屋形炎上す。家人共の家は自ら焼く。公方を討ち申し、御首を取りて落ち下ると云々。仰天周章中々に是非なし。
(中略)
 廿五日、晴、昨日の儀、粗聞く、一献両三献、猿楽の初の時分、内方とどめく。『何事ぞ』
と御尋ねあり。『雷鳴か』など三条申さるる処、御後障子引きあけて武士数輩出て、則ち公方を討ち申す。三条、御前の太刀 御引出物に進ずる太刀也 を取りて切り払い、顛倒して切り伏せらる。山名大輔・京極加賀入道・土岐遠山、走衆三人討死す。細川下野守・大内等は、腰刀ばかりにて振舞と雖も、敵を取るに及ばず、手負いて引き退く。管領・細川讃州・一色五郎・赤松伊豆等は逃げ走る。その外の人々は右往左往して逃げ散る。御前に於て腹切の人なし。赤松落ち行くに、追い懸けて討つ人なし。未練いわんばかりもなし。諸大名同心か、その意を得ざる事なり。所詮赤松を討たるべきの御企露顕の間、遮て討ち申すと云々。自業自得、果して無力の事か。将軍の此の如きの犬死、古来その例を聞かざる事なり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)