(s0490)

「山野入会権をめぐる争い」

『菅浦文書』
「目安 菅浦御百姓等謹みて言上す。
右の子細は、草刈について、往古より当庄の仁は大浦の山へ立ち、また大浦の仁は菅浦の山に立合う処、当年丑二月下旬比、大浦より山留あり。然る上は又当庄の山は堅く禁制たる処に、大浦より山をぬすむ間、草刈鎌を七ちやう取る処に、当庄の者で大浦へ就く上人の越船を大浦に留むるの処に、海津西浜の老共ちうさくにより、船をおさせて歎く事あるによって、鎌をも出し、無事の思いうぃなすもの也。然りと雖も東近江西野清水方の御口入によって、無為の思いをなし、立会うべく治定仕るもの也。さる間、大浦の仁、当庄の山に入り、草刈三日なり。先に当庄の仁は大浦の山に入らず、その後かの山へいる入る処、をしよせ追払う。
これ希代の事なり。やがて大浦へをしよせ恨をはらすべしと雖も、太上様の御下知を恐れ、遺恨ながら堪忍仕る処、結句大浦より今月四日午剋をしよせ、放火・にんしやう并に田畠ふみあらず間、御年貢一粒もそなへがたきもの也。(中略)
 文安二年七月七日
   進上 花山院 御奉行所」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)