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「応仁の乱前夜の諸相」

『碧山日録』
「寛正二年二月十八日己丑、国家大臣某、東渓の梅を賞し、高歌爛酔、勧娯終日、その帰り也、馬上に狂呼し路旁に嘔吐し、その勢触れるべからざる也。路上みな目してこれを避く。
晦日、辛丑、事を以て京に入る。四条坊の橋上より其の上流を見るに、流屍無数、塊石磊落せるが如し。流水壅塞し、其の腐臭あたるべからざる也。東去西来、これがために流涕寒心す。或いは日く、正月より是月に至るまで、城中の死者八万二千余人なり、と。日く、城北に一僧あり、小片木を以て八万四千の率堵を造り、一々これを尸骸の上に置くに、いま二千を余すと云々、大概これを以てしるなり。城中と雖も見るに及ばざる所あり、また郭外の原野・溝□の屍はこれを置くを得ず、と。願阿、流民の屋を徹す」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)