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「信長の検地」

『多聞院日記』
「天正八年九月廿六日、当国中寺社・本所・諸寺・諸山・国衆悉く以て一円に指出す可きの旨、悉く以て相触れられおはんぬ。沈思沈思。申出さる一書の趣、これを写す。
  敬白 霊社起請文前書の事。
一、当寺領并びに私領買得分皆一職。何町何段の事。
一、諸談義唐院・新坊何町何段の事。
一、名主拘分、何町何段の事。
一、百姓得分、何町何段の事。
一、当寺老若・衆中・被官・家来私領并びに買得分、扶持分、何町何段の事。
右、五ケ条の書付以て申入れ、田畠・屋敷・山林聊も隠置き申す儀これ無く候。その為、何れも本帳御目に懸け候。若し此の旨御不審に於ては、急度百姓前直ちに御糺明なさるべく候。
その上多少に寄らず出来分これあるに到らば、曲事たり。惣寺領悉く以て御勘落あるべし。安土、上聞に達せらるべし。証文として、宝印を飜し、血判を据え申上ぐる者なり。仍て前書件の如し。
  九月 日 興福寺衆徒中
 滝川左近殿
 惟任日向守殿
此の如く申したる。前代未聞是非なき次第。日月地におちず、神慮頼み奉る計りなり。(中略)。
十一月二日。(中略)滝川・惟任今暁七つ時分より帰了と。三十八日ばかり滞留か。その間の国中上下の物思ひ・煩ひ、造作苦痛迷惑、既果たる衆地獄の苦しみも同じならん」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)