(s0563)

「農村統制」

『小室文書』
「  掟条々
一、千石につめ夫壱人とあひさだむるなり。此以外つかふ事あらば、このいん 判にて、いくたりいだし候へと申しつかはすべく候。然らば奉行人を申付を くべき間、十二月廿日に当村の年中の印判の書物あつめあげ申すべく候。す なわちはん米をつかはすべき事。
一、地下あるきにいたっては、代官下代やとい事あらば、あおのざい所里とな りなどへは、やとはれ申すべく候。それも作にさしあひ、入らざる儀にめし つかい候はゞ、いたし申すまじく候事。
一、田畠さくしきの儀は、此のさき御けんちの時、けんち帳にかきのり候者の さばきにつかまつり、人にとられ候事も、又むかし我がさくしきとて人のを とり申す事も、ちゃうじの事。
一、蔵納田地、きう人がたの百姓作り候はゞ、壱石に壱升の夫米出すべし。し ぜん此村へ入作おほく候て、夫米つめ夫のざうようにあまり候はゞ、 此の地 下の一徳に田はた作り候て、夫にいだし候事ならぬものは、夫米出作なみに いたすべき事。
一、出作にあき候とて、申したきまゝに申しなし。田地あけ候事、くせ事たる べし。又当村の田地を、よの村よりあげ候とも、これ又あげさせ申すまじき 事。
一、来あきより、只今遣はす我々判の升にて取やり仕り、ふるき升もちゆべか らず。先年けん地衆いだされ候升に、ふときほそきある間、取あつめ、その 中にて中をとり、ため合せ遣しゃし候事。
一、小田原御ぢんの年より以後、ざいざいの百姓地下を出し、ほうこう人・町 人・しよく人になり申すやから候はゞ、あり所をきゝ、すなはち代官に申し 候て、我等へ申しあぐべく候。御はつとの事に候間、取返し申すべく候。但 し、家中に候はゞくるしからず候、よの家中にはをき申すまじき事。
一、なにたる儀によらず、よの村の百姓はしり、当村へまいり候をかゝへ候は ゞ、其宿主の事は申すにをよばず、地下中くせ事にせしむべき間、かねてそ のむねを存じ、よの村百姓かゝへ申すまじき事。
一、ぬかわら已下にいたるまで、我等用うる所に候て、代官より取る儀あらば、 少なりともさん用に相立たず候はゞ、めやすにて申上ぐべく候。
一、此村もし給人つきに成り候はゞ、さいぜんより給人の村へつかはしをき候 法度かきをもちい、これはほんごたるべき事。
一、何事によらず、百姓めいわくの儀あらば、そうじやなしにめやすを以て、 にはそせう仕るべく候。かくの如く申すとて、すぢなき事申上げ候はゞ、き うめいの上、けつく其身くせ事たるべく候間、下にてよくせんさく候て、申 上ぐべく候事。
一、年貢をさめやうにの事、壱石に弐升のくち米たるべし。百姓めんめんにあ げにはかり、ふたへたはらにして、五里のぶんは、百姓もちいだすべし、五 里の外は、百姓のひまに、はん米遣はし候て、もちいださせ仕るべく候。此 外むつかしき事あるまじく候事。
一、めんの儀にいたっては、秋はじめ田をからざるまへに、田がしらに見をよ び、めんの儀相さたむべし。もし百姓と代官と、ねんちがひの田あらば、其 村の上・中・下三だんに升つきをせしめ、免のぎさだむべし。なをねんちが ひあらば、いねをかり、三つにつみわけ、くじ取りにいたし、二ぶん代官へ 取り、一ぶん百姓さくとくにとるべく候。かくの如くさだむる上は、代官に みせずかりとる田は、めんの儀つかはし申すまじく事。
右、十三ケ条件の如し。
  文禄五年三月朔日 治部少」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)