(s0582)

「朝鮮での戦闘」

『日本史』
「4月14日に、軍勢は他の城塞に向かったが、そこは高麗では比類なく立派で優れた城と思われた。この城塞は東莢と言い、最初の釜山浦城から内陸へ3レーグア入ったところにあった。高麗人らはこの城を最大の防衛陣と見なし、そこに最大の資力を投入していた。同所には2万の戦士が集結していた。(中略)
第4月の14日の夕食時に、アゴスティーニュはこの城塞へのこうげきを開始した。兵士らは四方から梯子を伝って勇敢に攻め登ったが、まるで雨のように矢が降り注ぎ、彼らを目がけて屋根瓦を投げる城の上から抵抗にはすさまじいものがあった。高麗人らは、城塞の一角では、その勇猛さによって日本人を退却させ、その多数を負傷せしめた。そこで日本人たちは、ある策略を用いた。すなわち彼らは通常旗幟を腰に差し、背中に負って歩くが、それを高い棹に結びつけ、片手でそれを上方にひらめかせて運ぶながら梯子を伝い、高麗人に矢の狙いを狂わせようとした。
結局日本人は武力によって侵入に成功し、約2時間にわたって彼我の間に激戦が展開した。双方とも大いに奮戦したが、高麗人は頭上に振り翳される日本人の大刀の威力に対抗できず、ついに征服された。高麗人の側では約5000人の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞の攻略に際して百人近くの戦死者と400人以上の負傷者を出した。(中略)アゴスティーニュはそこから更に軍勢を率い、他の五つの城塞を攻略するために進撃を続けた」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)