(s0587)

「安土城の建設」

『日本史』
「信長は、この地に難攻不落な城をもった新市街を築き、自らのあらゆる栄光を発揮せんとした。そこで安土山の麓の平野に庶民と職人の町を築き、広く真直ぐに延びた街路ーそれは実に長く立派な通りだったので、美しく見事な景観であったーを有するその街の整備を彼らに担当させた。(中略)すでに街は1レーグア、の長さにおよび、住民の数は、話によれば六千を数えるという。
街から隔たった湖の入江に沿った他の場所に、山麓を起点として、信長は領主や高貴な人たちの邸宅を築くことを命じた。皆は彼が欲することを行いたいと願っていたので、彼に従う諸国の領主たちは、山の周囲とその上部を囲み、非常に立派な邸を築いた。それらの邸宅は、入口と上部に監視所を備えた。普通約15パルモ以上の高さのよく築かれた石垣を有しており、個々の邸が頑丈で、手ごろな城を形成していた。このように山の周囲を諸邸宅が上部に向かって重なり合うように建てられており、それらの邸宅が山を更に清澄に見栄えのする優美な眺望としている。遠方から車で運搬してくる石材を集める困難さからしても、それらが莫大な費用と手間を要したものであることが知れるのである。
信長は、中央の山の頂に宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパの最も壮大な城に比肩し得るものである。事実、それらはきわめて堅固でよくできた高さ60パルモを越えるーそれを上回るものも多かったー石垣のほかに、多くの美しい豪華な邸宅を内部に有していた。それらにはいずれも金がほどこされており、人力をもってしてはこれ以上到達し得ないほど清潔で見事な出来栄えを示していた。そして城の真中には、彼らが天主と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりも遥かに気品があり壮大な別種の建築である。この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮やかに描かれた金色その他色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている。外部では、これら七層の層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本で用いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。(中略)これらの建物は、相当な高台にあったが、建物自体の高さのゆえに、雲を突くかのように何レーグアも離れたところか ら望見できた。それらはすべて木材でできてはいるものの、内からも外からもそのようには見えず、むしろ頑丈で堅固な岩石と石灰で造られているかのようである」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)