(s0591)
「阿国歌舞伎」 |
『当代記』 |
「慶長八年四月条 此頃、かふき躍と云う事有り、是は出雲神子女 名は国、但し好女に非ず 仕り出で、京都へ上る。縦ば異風なる男のまねをして、刀・脇指・衣装以下殊相異、彼男茶屋の女と戯る体有難したり。京中の上下賞翫する事斜めならず。伏見城へも参上し度々躍る。其後これを学ぶかふきの座いくらも有て諸国へ下る。但、江戸右大将秀忠公は終に見給はず。 慶長十二年二月廿日条 国と云うかぶき女、江戸に於てをどる。先度の能のありつる場にて勧進をす。 慶長十三年五月条 三川国苅屋城主水野日向守、去年十月、かぶき女名字『出来島』と号す。隼人召連れ下されけるが、去月頃引連れ上洛せしむ。衣装已下きらびやかにして、かぶきける。内々聚楽勧進於て、かぶかせらるべきよし思立てられけるが、然るべからざる由、知音は頻に諌言せしむ間、相止められ、勧進法楽にかぶきける。見物貴賎市を成す。去年十月連れ下さる時、亭主え銀子参拾貫目出さる。此度、衣装其外造作銀子七拾貫目入用の由。京町人謳歌説有る条、若輩者共見物せぬはなかりけり。 慶長十三年五月二十日条 駿府中、かぶき女并びに傾城共多くして、ややもすれば喧嘩有り。これに依りこれを払うべきの由、大御所日す」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |