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「大陸からの陶器・織物技術伝来」 |
| 『工芸志料』 |
| 「有田焼 有田窯は、慶長三年鍋島直茂、朝鮮を征して遷るの時、朝鮮人李参平という者あり。直茂の臣多久長門守安順に従いて帰化す。而して後李参平、彼の国の瓷法を以って瓷器を製せんことを乞う。安順これを許して之を製せしむ。李参平は朝鮮の金江の人なるを以て金江氏を冒す。頗る良工なり。子孫今に至りて猶陶器に従事す。初め李参平肥前の田中村に至り、善い良工を得ず。当時の器往々世に存す。然れども瓷器多く間々白磁の者ある。これを掘出手と云う。其の後白□を松浦郡泉山に検出し、始めて精潤潔白の磁器を製することを得たり。相次ぎて遠近より工人来たり集まり、終に一部落をなせり。今の有田焼則ち是なり。 薩摩焼 慶長年間、豊臣秀吉朝鮮を伐し時、国主島津義弘彼の地にあり、帰るに及んで其の地の陶工十七人を携えて来る。(中略)義弘これを鹿児島の高麗町に居らしむ。この中良工を選びて、大隅国帖佐に徙して点茶家に用いる所の茶壷、茶器を造らしむ。其の質緻密にして、青黄黒を兼たる釉を施す。而して其の中に蛇蝎と唱うる白色の凝釉の斑々なるを以て良とす。 錦 天正年間、支那の織工和泉の堺に来たりて、明様の錦を織る巧を伝う。堺の織工仍ち其の伝を受け能くこれを織る。本邦に於て明様の錦を織ること此に始まる。時に工人あり。京師の西陣の地に機舎を設け、また錦を織る。堺の巧を伝うるならん。而して後西陣に製する所の錦漸く精好に至り、遂に堺の上に出づ。(中略)また西陣の織工俵屋某、蜀江錦に傚いて一種の錦を織出す。是を唐織錦という。甚だ美なり」 |
| 現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
| 『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
| 『精選日本史史料集』(第一学習社) |
| 『日本史重要史料集』(浜島書店) |
| 『詳解日本史史料集』(東京書籍) |