(s0616)
「朝廷の財政」 |
『吹塵録』 |
「一、禁裏御料は足利家の代には、高三千石と承り候。その後秀吉公に至り、
御増加にて高七千石に相成り、家康公御代に一万石に成し進られ、元和七 年、東福門院御入内の節、御化粧料として壱万石御持参、家光公御代に一
万石進られ候由、承りおよび候。 一、御料高都合三万石、その地は山城・丹波両国の内にこれありと覚へ候。 (中略) 一、天明度以来関東より御補足左の通り 銀七百四十五貫目 金にして凡そ一万千四百五十両 一ケ年御定高相唱え候。これは、御召絹以下諸賄向并びに禁裏中の 小御修繕等の御用途 凡そ金七千両程 これは、御所向并びに宮方・摂家方建物修繕外囲等、小堀勝太郎掛 り定恩修理方御用途 凡そ金一万両程 これは、御神事御下行米・禁裏御蔵御有米不足補充のため、関東よ り別段進らるるの分 凡そ金七千両程 これは、臨時御用途并びに御定直段増等にて、別段関東より進らる るの分 右四口にて凡そ金三万五千四百五十両ほどに相成り候。もっとも年々増減これあり候へども、三万両より少からず、五万両より多からずと覚へ候。 一、右の外、安政度以来は三万両あるいは二万両ずつ、別段関東御手元より 進られ、堂上方一同へ御分配相成り候事も、たびたび取扱ひ候儀これあり 候。 一、その他、宮方・摂家・堂上・地下一般の知行高・蔵米渡し高等もこれあ り候。 一、右等を合算致し候へば、草高にて凡そ四、五十万ほどの御仕向きに相成 り居りたるやに覚へ候」 |
現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |