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「百姓の経営」

『豊年税書』
「  覚
一、凡そ壱町の作人四人、子壱人ともに五人の入用、有増積り見るに、飯料拾弐石、内三石は昼食、馬壱疋に弐石、此の外は糠藁秣等を飼ふべし。五人の内夫妻子共に三人、此の衣類金三分、此の外二人は下人、此の給金弐両、又馬代金弐分、是は代弐両弐分の馬を五年遣ふ積り、三分は具、馬道具、義理帯紙抔の雑用の積りにして、金合四両、此の石但し雑石共に壱石五斗がへ、惣石合拾八石、壱ケ年入用なり。こやしと薪には、馬持故これを除く、随分わびたる暮の積りなり。扨又田より生るる壱町の穀類、田半分にし米七石五斗、是は壱反に籾三石、壱歩に壱升、米にして五合積なり。半分は畑方夏作秋作二毛にて、雑石拾五石、菜大根も穀に積り入てなり、是は上畑の積なり。有穀弐拾弐石五斗、此の内にて入用引残りて四斗五升なれではこれなく、此の内にて種を残して取毛とすれば、壱町の高拾五の盛にして、三つ取の内にあたる、まして四つならしにすれば、壱石四五升も不足なり。去る程に今年は喰ひあまりたるの金も遣ひ、あまりたるのいふ事は、十年に一年も有るまじ。況や其の内に作毛出来損じて、又飢渇の年にあひ、田畑を書入れ、借金出来、此の利払さへ成がたく、請返すといふは十 人に一人も有か無の事なり。大分高持たる百姓は、少しづつも余計有べし。壱町弐町より以下の作人は、大方は右の通なり。爰を以て取箇付も考べし、如何様なる処にも、浮処の務有り、是にて又も身のうへ続なり、去る程に浮役等も思慮して取るべき事なり。
一、山近き百姓は馬を持つなり、秣を取り、薪を取り、真木抔を付出し、売て耕作にも、馬牛を第一としてこれを遣す。山なき所は、馬持は少し。但し江戸近くは、瓜・茄子・其の外商売のかかる故馬持なり。山なき所は大方海辺等、□よりも、干□下糞抔を、肩の上にて運取り、海草を取なり、馬の入用なし、大方船の自由なる故成べし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)