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「ウイリアム=アダムスの書簡」

『慶元イギリス書瀚』
「既にして我等漂着の事皇帝の耳に入りしかば、直に五隻の帆船即ちフリゲイトを遣し我等を迎へ、豊後を距離ること凡そ八十リーグなる陛下の在住せる朝廷に予を招きたり。次で予が朝廷に至るや、帝は予の本国のことを尋ねしかば、予は一々之に答へたり。(中略)
 後二日帝は再び予を召し、斯かる遠隔の地に渡航したる理由を問はれしかば、我等は諸国民と友誼を以て交はり、各国と互に通商し、本国に産する所を外国に輸出し以て其地の土産と交易せんことを欲するものなりと答へたり。帝は又イスパニヤ又はポルトガルと我国との間に於ける戦争並に其の理由を尋ねられしかば、予は之に一々応答し帝は頗る満足せるものゝ如し。
 爾来四五年経過せる間に、皇帝は従前の如く予を屡々招き、而して彼の為に一小船を建造せんことを予に望まれたこと一再ならず。予は船匠ならざれば其の心得なしと答へしに、皇帝は『宜し、良好ならずとも、差支へなし』と云はれたれば、帝の命に従ひ、予は約八十噸の一船を建造せり。同船は悉皆英国風に造りしが帝は乗船検分し頗る気に入り、此の如くして帝に一層篭用せられたれば、予は屡々恩前に候し、随時下賜品あり。終には生活の為日々、給米二斤年々七十デュカット予の俸禄を賜ひたり。今やかゝる恩遇を蒙り、予は帝に幾何学の数項と数学其他の智識を授け、帝の気に入り、予の進言せし所帝の反対せらるるなし。此を見て従来予の敵なりしものは大いに驚き、此の時予に友交を求めしかば、予は即ちイスパニヤ人とポルトガル人に交はり、彼等の悪に酬ゆるに善を以てせり。(中略)
 今や、皇帝に仕へて、日々勤むること此の如くなれば、帝は予を厚く遇し、英国の大侯にも比すべき地位を賜ひ、且つ八九十人の百姓を予に属せしむ。彼等は予の奴隷とも、従僕とも謂ひつべく、予は之が長官にして、未だ曽て外国人には与へられたる事なき所なり。多大なる災厄の後、神は予を恵み給ふ。神に現在及び未来永劫に亙り、あらゆる祝福と讚美、力と栄を捧ぐ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)