(s0650)
「キリシタン禁圧」 |
| 『日本切支丹宗門史』 |
| 「慶長十七年条 二つの主なる原因から、恐ろしい迫害がおこった。その一つは、有馬のドン・ヨハネの大望、他の一つは、イスパニヤ人に対するアダムス及びオランダ人の中傷であった。 ドン・ミカエルは、予て父の計画を訴へ出ていた。そこで公方様は、顧問官に調査を命じた。陰謀と贈賄の事実は、明るみに出された。大八は、妻と共に火炙の宣告を受けた。妻は免されたが、大八は四月殺され、而もキリシタンとして死んだ。その息子も、宣告の巻添をくって首を刎ねられた。公方様は、ドン・ヨハネが、他の領主に帰属している領地を取戻さうと望んだ事を許さず、所領を全部没収した上で、紀ノ国に追放した。ドン・ミカエルが父の領分を全部受け継いだ。(中略) 迫害の第二の動機は、前年イスパニア人に与へられた、帝国の辺海を測量する許可であった。屡々ヨーロッパの事情を公方様に語ったアダムスは、イスパニア人が測量したのは、含むところがあるので、新イスパニア、ルソン、その他イスパニア王によって征服された国々は皆さうであったと、公方様に言葉巧みに説いた。公方様は、アダムスの暗示によって、予て疑ひをかけていたイスパニア人やポルトガル人に対して憤慨した。彼は、この両国人と征服者らしくもなく、キリシタンらしい素振も見えないオランダ人とを区別していた。同時に、彼は上方の地方の天主堂を悉く破毀せよとの命令を発した。既に彼の子たる将軍も、同じ禁令を出していた」 |
| 現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
| 『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
| 『精選日本史史料集』(第一学習社) |
| 『日本史重要史料集』(浜島書店) |
| 『詳解日本史史料集』(東京書籍) |