(s0654)
「島原の乱」 |
| 『日本切支丹宗門史』 |
| 「数日後、有馬に大乱が勃発したといふ報告が着いた。島原地方のキリシタン達が暴動を起し、代官とその部下若干名を殺したといふので、ために全国挙って、武器を執ったのであった。誰も、この反乱を宗教的理由に帰するのであった。然し、これは、真の理由ではなかった。久しい前から、有馬の領主長門殿は、収入を増さんがために、家臣の物資や生命を脅かした。稲や麦や大麦の耕作に課せられた普通の税に加へて、九分の一税と他「カンガ」と称するものとの二つの重税を課した。…これが支払ひの出来ない百姓は、酷い虐殺を受けるのであった。…あの名だたる百姓の娘が連れて行かれたのであった。若くて美しいこの娘は、裸にされ、燃えさかる薪で全身を焼かれた。父親は、借金を支払ふまで、ただ娘を人質にとられるだけだと思って、暫しの別れを承知したのであった。然るに、娘が犠牲になったといふ酷い取扱ひぶりを聞いて、彼は、悶えて怒り狂ひ、仲間の者を語らって、代官とその家来を襲った。その家来の虐殺された者は、三十人に及んだ。…その事件は、十二月十七日に起り、これが一般にわたる反乱の導火線であった。 領主側の人々は、島原の城中に囲まれ
、町まで焔に託された。 之と同じような原因から、天草の島々でも、多くの村々が反乱を起こした。天草の領主寺沢麾下の城代は、三千人の兵を集めて、叛徒を攻撃した。然し、十二月二十七日、彼等は破れ、その軍隊は粉砕された。勝利者の鬨の声は、イエズス・マリヤであった。戦の最中に、天草の人々は、自分達はキリシタンで租税のことから立ったのだと叫んだ」 |
| 現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
| 『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
| 『精選日本史史料集』(第一学習社) |
| 『日本史重要史料集』(浜島書店) |
| 『詳解日本史史料集』(東京書籍) |