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「享保の飢饉」

『三貨図彙』
「享保十七年壬子年正月頃は
  広島米 代 新銀三十九匁七分より四十目
  備前米 代 同 三十八匁五分より三十九匁
  中国米 代 同 三十六匁三分より三十七匁
然る処今年七月初より、西国・中国・九州筋四国田畑虫付き不熟凶作により、当九月以後は一時に米価貴くなり、米一石代新銀百三十目より百五十目位。(中略)
当年西国筋都て大凶作なれども、東北国々豊穂にて天の命助を蒙り、凶作の国々も士民安堵す。右の通り西国筋は田畠不熟にて米穀数なく、又士民ともに飢渇に及び、道路に倒るるもの其の数をしらず。西国・四国・九州大小の諸侯、米穀払底にて士民の撫育も出来難く、公務を欠て迷惑に及ぶ。これに依て公儀より拝借金を仰付けられ、猶又大坂始め公領の市民餓死する者は、現米を以てこれを救はる。亦市中の富民より米銭雑物迄を出し飢民を救ふ。然れども去亥年市中の買持米これ有に付、大抵八九月の頃迄は窮民も可なりの取続きせしところ、追々米穀払底にて、十月後に至りては餓死するもの多し。茲に因て公儀よりも東国・北国の領主地頭へ下知せられ、数万の米穀を大坂又は西国筋へ積出さる。尤も東北の国々昨今年は作方豊熟にて、当九月・十月の頃より十二月迄の登り高左の通り。これに依て米価漸く下落す。
 北国登り米凡そ二百三十万石
 東国登り米凡そ八十七万八千石
右登り高大数といへども、西国・四国・九州筋へ積下し、此年冬大坂堂島有米勘定高十八万千七百石といへり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)