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「牢人対策」

『徳川実記』
「慶安四年十二月十日、井伊掃部頭直孝、保科肥後守正之并びに大老・執政の輩、白木書院に会集して政を議しけるに、酒井讃岐守忠勝申けるは、『去頃正雪・忠弥が党、非望のくはだてをなし、既に海内の騒擾に及ばんとせり。祖宗の慰霊と国家の幸福をもて、速に其こと露顕して靜謐に及ぶ。これしかしながら、天下の処士等、多く府下に群居するゆへ、かゝるひが事も出来るによて、この後府下の処士を悉く追払はゞ、永世靜謐の基たるべし』となり。正之并びに松平伊豆守信綱も、『此義尤もしかるべし』と申けるに、阿部豊後守忠秋聞て、『忠勝の議その理なきにあらずといへども、必竟国家の令申、かくのごとく狭隘なる事あるべからず。府下は天下の諸大名の会期する地なれば、何方にも出身するに便あるをもて、処士のたづきなき者、みな来たりて府にあつまり、生産をもとむるなり。しかるに処士みな追払はれば、彼等出身の路を失ひ、旦夕にせまりて進退きはまらば、又いづかたにひそまりて山賊・強盗をもなし、良民の害を企むもはかりがたし。又彼等、さしあたりての困究はさらなり。その妻子たるもの、いかで悲歎せざらんや。この事ゆめゆめしかるべからず』と 申けるに、直孝聞て、『忠秋申さるゝ処尤もその理あり。かれ等府下に群居して、いかなる悪事を企たりとも、又此度のごとく追捕せられんに、何のかたき事かあるべき。天下の生霊はみな上の民なり。正雪等が所為に手懲して、諸浪人を追払ひ、彼等を飢餓せしめしと評論せられん事、天下後世に対し尤も恥べきなり』と申けるに、忠勝も信綱も感服して、その議はやみぬるとぞ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)